山本太郎×小沢一郎、電撃タッグ結成の舞台裏

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2015年、政界の台風の目となるか
2015年、政界の台風の目となるか

 突然の合体劇は、永田町に大きなインパクトをもたらした。

 小沢一郎代表率いる生活の党に合流することが報じられた山本太郎参院議員。両者は、「脱原発」「TPP反対」「消費増税反対」など、掲げる公約に共通する部分が多いだけに、共闘の道を選んだようだ。

 本サイト連載「政界デッドボール放談」でもおなじみの山本太郎氏だが、衆院選直前に行ったインタビューでも今回の〝電撃合流〟を予感させるような発言を残していた。

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 山本氏は選挙後の野党再編の動きについての質問の中で、

「今回の選挙の先のことははっきりとはわかりません」

 としつつも、

「同じ志を持つ人同士で新党を作るという選択肢はある」

 と語っていたのだ。

小沢サイドが山本太郎に最大限の配慮

 さらに、掲載されたインタビューでも、

「市民の新しい勢力を結集して戦う選挙は、統一地方選から、と山本太郎は決めました」

 と明言している。水面下では、来春に控えた統一地方選に向けて着々と準備を整えつつあったようだ。

 事情を知る山本氏の選対関係者が、その内幕を語ってくれた。

「12月中旬に新しい政治団体を立ち上げて、新党結成に向けた体制作りに本格的に取り組み始めていた。そもそも、今回の件ではこちら(山本氏側)が生活の党に入党したという風にマスコミに報じられているが、そこはあくまで形式上での話。実情は少し違う」

 2012年12月に政治団体「新党 今はひとり」の設置を総務省へ届け出て、2014年3月には、「新党ひとりひとり」に名称変更した山本氏。

 関係者によれば、山本氏は12月、それとは別に「山本太郎となかまたち」という新団体を立ち上げていた。そして、それが今回の伏線になっていたのだという。

「単純な入党というものではなく、こちらは小沢さんとともに新たな党を作るという感覚。党名の変更をお願いしたのは、そういう事情も関係してのことだ」(先の関係者)

 その結果、できあがったのが「生活の党と山本太郎となかまたち」という“新党”。個性的なネーミングはネット上でも話題になっているが、命名の由来にはこうした背景があったわけだ。

 衆院選で議席数を2に減らし、国会議員数4になって政党要件を失っていた生活の党が、いかに追い詰められていたのかが、うかがい知れるというものだ。

「政党名に名前を入れることを了承するということは、山本太郎に最大限の配慮をしたということになる。小沢さんは、山本太郎以外に亀井静香さんにも入党の誘いを掛けて断られていた。相当焦っていたのは間違いない」(永田町関係者)

 今後、本サイトの年末企画で渦中の山本太郎氏が登場、寄稿する予定となっている。入党に至る詳しい経緯や意気込みをきっと語られるはずだ。期待したい。

(取材・文/DMMニュース編集部)

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