【引退】Mr.プロレス天龍源一郎の「豪快伝説」と「晩年の意地」

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11月に引退が決定した天龍源一郎
11月に引退が決定した天龍源一郎

 銀座のとあるクラブ。客の一人が支払いで揉めている模様……どうやら手持ちの金を勘違いして、払えないようだ。常連でもなければ売掛けを認めない店は、その場での支払いを求めて譲らない。その時、店の奥から野太いしゃがれ声が。

「話はすべて聞いた。ここはオレに任せろ!」

 そして、その場で初めて会った客の支払いを、すべて立て替えたという。男の名は、天龍。先ごろ、今年11月での引退を発表したプロレスラーの天龍源一郎(65歳)だったのだ。

 こうした「男気エピソード」が沢山ある(注1)天龍は、部屋騒動で大相撲を廃業した時が26歳、東前頭13枚目だった。プロレス転向して入門した全日本プロレスでは最初から馬場社長(ジャイアント馬場)の期待を受けたが、「低迷期が続いて本人もやる気を失いつつあった1981年7月に、天龍はビル・ロビンソンと組んで馬場とジャンボ鶴田組のインタータッグ選手権に挑戦。この試合で延髄斬り(注2)を使うなど大暴れ。ようやくプロレスに開眼した」(プロレス誌記者)

 そこからザ・ファンクス、Rフレアー、Sハンセン、Bブロディら世界の一流と闘い、全日本に乗り込んできた長州力を迎え撃ち、パートナーだった鶴田に牙を剥いて名勝負を展開。文字通りのトップレスラーとして大活躍した。タイトルも数多く獲得したが、最大の勲章は馬場とアントニオ猪木、両巨頭からのピンフォール勝利。日本人では天龍一人だけが成しえた偉業だった(注3)。

天龍源一郎の「男気」武勇伝!

 さらに大相撲時代から美男力士として有名だっただけに、モテる。「昔は特急列車の停まる町には、ぜんぶ女がいた」とは本人が語った言葉だが、某女子プロレスラーとの仲など、艶っぽい話にも事欠かない。つまり仕事が出来て、他人に優しく、男からも女からも惚れられるのが天龍という男なのだ。

 しかし……限界も来る。肝心の仕事面ではここ7~8年でトップクラスから舞台を変えて、お笑い団体の「ハッスル」やインディ団体が主戦場になり、手術等でコンディションも低下。リング上の動きに、かつてのスピードは望めない。そして65歳での現役引退発表となったわけだ。気づけば師匠の馬場の享年も、猪木が引退した年令も大きく超えていた。

「東京ドームに6万人を集めて猪木や長州と対決した天龍が、いまや300人の会場でやっているのは情けない」と、嘆くファンや関係者もいる。

 ……しかし法改正から二年が経ち、時代は「65歳定年制」。多くの企業が定年後の再雇用という形で対応するが、社員側は減給されたり、キャリアと関係ない部署に配置されたりと、負の側面も目立つ。「ビッグプロジェクトを成功させた自分に雑用をさせるのか」などと怒るケースが多発して軋轢を生んでいるが、天龍は違う。どんなリングでも、どんな相手でも手を抜かない。昔の栄光を盾に未熟な相手を見下したりもしない。

「話はすべて聞いた。ここはオレに任せろ」と決めた以上、自分の扱いや他人の目などどうでもいい。目の前の仕事と全力で闘うだけ。就職、転職、定年に不安だらけの現代こそ、天龍の生き方を最後まで注目したい。

(注1)男気エピソード……越中詩郎が「全日本」から「新日本」への移籍する際、天龍の元へ挨拶に来た越中のポケットに、黙って数十万円をねじ込んだ。他にも多数あり。
(注2)延髄斬り……当時のタブーを破って、ライバル新日本プロレスのトップ、アントニオ猪木の必殺技を使った。
(注3)偉業……馬場は逝去、猪木は引退したため、もはや誰も後に続けない。

著者プロフィール

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コンテンツプロデューサー

田中ねぃ

東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。DMMニュースではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ

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