小沢一郎の哀しき実情「“小沢ガールズ”は次々と…」

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もはや「過去の人」となりつつあるのか……
もはや「過去の人」となりつつあるのか……

【朝倉秀雄の永田町炎上】

「生活の党」の谷亮子議員といえば、政治よりも柔道を優先させ、ろくに国会に出てこない、“仕事をしない議員”の代表だ。谷氏の父親は“その筋”の人間だと言われるが、谷氏の事務所の運営に口を出したり、党本部にも「もっと娘を使え」などと文句を言ってくるという。

 目下、できもしないことばかり主張するのが専売特許となっている「維新の党」を中心に「国会議員の定員も削減すべし」との声が強いが、「職員定数も減らせば、国会の立法機能は確実に低下するから慎重であるべきだ」との意見(読売新聞社説)もあって、そう簡単には実現できそうもない。

 いずれにせよ、国会議員を減らすには政策能力の優れた議員だけを残して精鋭主義でいかなければならない。当然ながら、谷氏のように参議院議員として6年間、歳費や文書通信交通滞在費をもらいながら何の実績も残さないものは必要ないことになる。

 そんな谷氏が来年夏の参議院選の再選に並々ならぬ意欲を見せているというのだから、呆れた話だ。

谷亮子も再選に向けて“小沢離れ”

 もっとも、参議院の比例区で一人当選するには125万〜130万票は必要だから、「生活の党」からではとうてい当選はおぼつかない。実際、筆者は1998(平成10)年の参議院選挙で「第二院クラブ」の代表であったコロムビア・トップ氏(本名・下村泰)の選挙事務に携わったことがあるが、「日本漫才協会会長」にして「芸能界のドン」であったトップ氏の知名度をしても約100万票しかとれなかったくらいだ。

 谷氏は、「親分」の小沢一郎氏から秘書を借り受け、泊まりがけの出張には必ずその“レンタル秘書”を同行させて不倫疑惑まで囁かれるほどの寵愛を受けたのにもかかわらず、生活の党を離党して古巣の民主党から立候補する動きを見せているという。

 事実、谷氏は先の衆議院選挙で苦戦を強いられた小沢氏の応援を辞退しているし、恒例の小沢邸での新年会にも出ていないというから、すっかり小沢氏に愛想を尽かした格好だ。

永田町でも存在感の低下著しく……

「奢れる者、久しからずや」という平家物語の「諸行無常」は、小沢氏にこそぴったりと当てはまりそうだ。かつて「豪腕」の名をほしいままにし、民主党が政権を獲った2009(平成21)年の衆議院総選挙では「小沢ガールズ」と称される大量の女性議員を当選させ、100名近い“子分”を率いて我が世の春を謳歌した小沢氏。しかし今や、所属議員わずか5名の弱小政党の代表に成り下がってしまっている。とにかく、永田町でも存在感の低下が著しいのだ。

 1969(昭和44)年の総選挙での同期当選組である羽田孜や渡部恒三、森喜朗らが引退したのだから、いい加減に身を引けばよいのだが、老いの妄執からか、まだ永田町の“泥水”に未練があるらしい。

 そんな小沢氏。野田首相時代に「消費税増税」へ反対して離党した民主党に戻りたいのが本音のようだが、小沢氏を嫌う岡田執行部ではそれも無理であろう。

 もし小沢氏が活路を見いだせるとしたら「野党再編」しかないが、小沢氏などと組んだら、かつて小沢自由党と合併した民主党がそうであったように引っ掻き回されることは目に見えているから、民主も維新も相手にはしないだろう。

身の処し方で明暗分けた“小沢ガールズ”

 谷氏に限らず、女性は往々にして打算的だから、いつ沈むかわからない“泥船・小沢丸”にいつまでも乗っているわけがない。先の総選挙でさっそく反旗を翻したのが、“小沢ガールズ”の一人である元キャバクラ嬢の太田和美氏だ。

 小沢氏の「公式」の母親の実家があった千葉県東葛飾郡沼南町(現在は柏市に併合)を生活の本拠にしていた縁で、小沢氏の寵愛を一心に集めていた太田氏。もともとは千葉7区の補欠選挙で初当選を果たしたが、平成の総選挙では党の事情で福島2区への「国替え」を命じられた。そのときの言い草が「福島にお嫁にきました」というのだから、調子がいい。

 ちなみに、このときの選挙で民主党は一選挙区あたり平均1890万円の選挙費用を投入したが、太田氏に対しては特に3000万円と厚遇している。

 そんな「お嫁にいった」はずの太田氏は、2013(平成25)年の参議院選挙では福島2区の後援者や有権者にろくな挨拶もせずに故郷の千葉選挙区に舞い戻り、「生活の党」から出馬するも落選。この党ではもはや政界復帰は無理と考えたか、先の総選挙では大恩ある小沢氏を見限り、節操もなく「維新の党」に鞍替えして千葉8区から出馬した。小選挙区では敗れたものの、比例南関東ブロックで辛うじて復活当選を果たしている。

 そんな太田氏と対照的なのが、小沢氏の政策秘書・O氏と水戸で“お泊りデート”をした挙句、そのO氏を自分の政策秘書にしてしまったことがある青木愛氏だ。

 小沢一郎氏は、秘書を通じて青木氏の公設秘書たちに「青木に秘書給与を献金してやれ」(いわゆる“ピンハネ”)と命じたとの噂もあるくらいだから、よほど可愛かったのであろう。

 そんな青木氏は先の衆院選、あくまで小沢に忠誠を誓う形で「生活の党」から東京12区に出たものの、公明党の太田昭宏氏に敗れたばかりか、比例復活も果たせず、哀れ、涙をのんでいる。

「小沢ガールズ」たちは、身の処し方如何で明暗がハッキリと分かれたわけだ。

朝倉秀雄(あさくらひでお)
ノンフィクション作家。元国会議員秘書。中央大学法学部卒業後、中央大学白門会司法会計研究所室員を経て国会議員政策秘書。衆参8名の国会議員を補佐し、資金管理団体の会計責任者として政治献金の管理にも携わる。現職を退いた現在も永田町との太いパイプを活かして、取材・執筆活動を行っている。著書に『国会議員とカネ』(宝島社)、『国会議員裏物語』『戦後総理の査定ファイル』『日本はアメリカとどう関わってきたか?』(以上、彩図社)など。
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