深津絵里の母死去…最後まで“娘の七光り”に頼らなかった女性の矜持

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写真は所属事務所HPより
写真は所属事務所HPより

 2010年公開の映画『悪人』で、第34回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞した実力派女優・深津絵里(42)。今年10月1日には、第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で日本人初の監督賞を受賞した『岸辺の旅』の公開も控えており、現在も活躍は留まるところを知らない。

 充実する女優業。だが6月には、深津の実母で書道家の深津論美子さんが、66歳で天国へ旅立っていたことが報じられた。

東久邇宮文化褒賞を受賞

 諭美子さんが書道家として活動し始めたのは40代の頃。書道家だった父親の影響で、3歳から書を始めていたという。2003年頃、50代で上海大学に留学し、筆だけではなく歯ブラシやほうき、たわしなどを使って書く『漢字アート』と呼ばれる独特な手法で作品を生み出し人気を集めた。

 自らを「諭黄」と名乗った論美子さんは、娘への配慮から深津の名前は長い間伏せていたが、2009年に開いた個展を機に「深津諭美子」と実名を使うように。上海で教室を開くなどの活動が評価され、2014年11月には東久邇宮文化褒賞を受賞した。また同時期に、自身が末期の肺癌であることを公表。ブログでは「自分が作ってしまった病気」「だからね~自分で治すのです」と闘病生活と向き合っていたものだった。

娘・絵里も最期に立ち会えた

 6月23日発売の『女性自身』(光文社)によると、諭美子さんの最期は夫や娘の深津も立ち会うことができたという。また、6月25日発売の『週刊文春』(文藝春秋)は諭美子さんが娘の名前に頼らず、自らの力で書道家としての道を歩んできたと伝えている。

 深津もインタビューなどに応じる機会が少なく、家族などプライベートなことを明かそうとしないが、諭美子さんもまた“娘の七光”での活動を嫌っていたのだ。

「報道では諭美子さんの人となりについてはあまり伝えられていませんが、おしゃべり好きで人懐っこい、おっとりした深津とは正反対のキャラクターでした。『娘というフィルター越しに見られたくない』と周囲には話していたものの、実際には娘の活躍が誰よりも嬉しいようで、仕事で接した際にも深津の話ばかりしていましたね」(雑誌編集者)

 家族での“セット売り”を気にしていたのは、本人たちというよりも深津が所属する大手芸能プロダクションの方だったようで、諭美子さんはインタビューを受けていても「あ、これ以上しゃべると娘の事務所に怒られちゃうわ」とこぼすことが何度もあったのだという。

「メディアの報道によっては『書道一筋』というイメージにも取れますが、芸能界との交流も深かったようで、有名アイドルの名前を挙げて『一緒にデートしたのよ』『写真週刊誌に撮られたら大変だったわ』と茶目っ気たっぷりに話していたのが印象的でした。深津のイメージともかけ離れている母の実像だけに、事務所が頭を抱えてしまうのも当然ですね。同事務所は近年になってから、諭美子さんのマネジメントも一部協力していましたが、余計な一言を防ぐための“監視”という意味合いも含まれていたのかも知れません」(前出の編集者)

 対照的な母娘がそろってメディアに登場する機会は最後までなかったが、きっとその絆は世間が想像するより遥かに深いものだったに違いない。

(取材・文/一樹守)

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