「応仁の乱」約70年前に大規模合戦明徳の乱「京都焦土化回避」の理由

日刊大衆

写真はイメージです
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京都では「応仁の乱(1467~1477年)」が勃発する七〇余年前、三代将軍である足利義満の時代にも大規模な合戦があった。それが室町時代を代表する“反乱”の「明徳の乱」で、八代将軍である足利義政の時代に京都全域を焼き尽くした応仁の乱とは対照的に、市中にそこまで大きな戦禍の爪痕が残ることはなかった。はたして、なぜだろうか――。  室町幕府は南北朝の争乱とともに幕を開け、初代将軍の足利尊氏が軍功のあった...

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