私たち日本人には、まだまだ馴染みの薄い「愛している」という言葉。家族に「愛している」と言葉で伝えていない日本人は、84.7%に上るという調査結果が示すように、対象が家族となると、余計に照れくさくて口にできない人が多いのでは?
そんな私も、ここ数年は口にしたことすらありません。だって「愛している」って、こうして文字に起こすだけでも、ちょっと恥ずかしいでしょう? とても声になどできる気がしません。
「愛している」が家族を救う?
日本には、相手の気持ちを「察する」という文化が根付いています。察することは、他者への思いやりがあってこその行為。確かに美しいですよね。
しかし自分の気持ちを言葉にせずに、相手に察してくれと求めるのは、単なる傲慢でしょう。言わなくても分かるはずというのは、幻想でしかありません。
それはきっと、愛情表現にも当てはまること。
毎日一緒にいるのだから伝わっているはずと、忙しさを理由に業務連絡みたいな会話ばかりしてはいませんか?
業務連絡だけの会話には、潤いも温かさもありません。潤いも温かさもない家族は、ちょっと寂しいですよね。
たった一言の「愛している」に、人は救われることがあります。誰かに大切に思われているという事実が、生きる支えになるからです。
大切な誰かの救いになるとわかりながらも、愛情表現を出し惜しみする理由なんて、ありません。