清原容疑者の栄光と転落…”記憶に残る男”の戦績を振り返る

改めて振り返りたい、清原和博の野球人生(写真は巨人時代)

 2月2日深夜、日本中に衝撃が走った。スポーツ番組のキャンプレポートが映される中、テレビにニュース速報のテロップが流れる。

「元プロ野球選手・清原和博容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕 〜警視庁〜」

 最近はテレビ番組にも出演し、薬物疑惑を否定し続けていた清原。しかし、報道によると覚醒剤所持の事実を認めているそうだ。しかし、彼ほどの男がなぜ…。今回、ここでは清原の栄光を振り返りたいと思う。

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■甲子園のヒーローから悲劇の英雄に… ≪高校時代≫

 清原は甲子園の英雄だった。名門・PL学園の1年生4番として1983年夏にデビュー。エース・桑田真澄とともに5回のチャンスをすべて生かし、5季連続の甲子園出場。

1年夏→優勝
2年春→準優勝
2年夏→準優勝
3年春→ベスト4
3年夏→優勝

 甲子園通算13本塁打は歴代1位。3年夏の1大会5本塁打も歴代1位。今もなお語り継がれる甲子園の伝説である。桑田・清原のコンビは「KKコンビ」と名付けられ、大フィーバーを巻き起こした。当時の野球雑誌を並べると、清原、桑田、清原、桑田、桑田、清原——。後にも先にもない大ブームである。

 しかし、ドラフトで事件は起こった。清原が入団を熱望していた巨人がなんと早稲田大進学を表明していたチームメート・桑田を強行指名。清原の指名権は西武が獲得し、清原は会見で悔しさと動揺のあまり泣き出してしまうのだった。

■黄金ルーキー ≪西武時代≫

 悩み抜いた末に西武入団を決めた清原は1年目から大活躍。126試合に出場し、打率.304 31本 78打点という驚異的な数字をマークし、オールスターゲームにも選出され、本塁打をかっ飛ばした。

 この31本塁打という数字は高卒新人はおろか、今もなお、新人本塁打記録として燦然と輝いている。打率、打点もまた高卒新人記録だ。日本シリーズでも4番に座り、チームの日本一に貢献。もちろん清原はぶっちぎりで新人王を獲得した。

 2年目の1987年には日本シリーズでドラフトで因縁のある巨人と対戦。第6戦、あと1アウトで日本一が決まる状況で、清原はファーストの守備位置で涙を流していた。ベンチに座る巨人・王貞治の姿を見て、胸から止め処もない思いがこみ上げてきたのだ。少年時代からのあこがれ、裏切られた、勝った——。その清原の涙はプロ野球史上に残る名シーンを生み出した。

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