清原被告や巨人軍を取り囲む”悪しき世界”に染まらず生きる勇気とは

清原被告や巨人軍を取り囲む”悪しき世界”に染まらず生きる勇気とは

ぶっちゃけ僧侶の時事コラム

 先日、多くのこども達に夢を与えてきた元プロ野球選手の清原和博被告が、覚醒剤を使用した容疑で逮捕され、そしてまた読売ジャイアンツの野球賭博なども含め、プロ野球選手のイメージは大きく揺らぎ、信頼は損なわれてしまいました。彼らの過去を振り返ると、甲子園では「スポーツマンシップ」というルールを遵守し、相手を尊重するという精神のもと、励んでいた清らかな心や姿は、いつの間にか薄れ、悪しきものに染まっていってしまうのでしょう。

 そんな連日の報道を見る度、仏教の開祖お釈迦様の教えを後世に残した、ある経文を思い出します。本当の強さとは、腕力でも、財力でも、名誉でもない。「自分らしく、清らかに、前向きに」生きることである、とその経文は説いています。

■泥の中に咲く「蓮華の花」

 皆さんはお寺に行かれた際に、境内をつぶさに観察されることはありますでしょうか?そこには必ずと言ってよいほど、蓮華の花がモチーフとなった仏具を見つける事ができます。当職が住職を勤める妙法寺でも、「じようか常花」という木製で金箔が施された蓮華の花が仏様の脇に飾られたり、また本堂の左右の壁には蓮華の絵が画かれています。そしてなにより、仏様の像は「蓮台」という蓮華の台座に座られています。

 この蓮華の花は仏教を代表する花として知られていますが、その由来の一つが「法華経」というお経のなかに出てくる「不染世間法 如蓮華在水」(ふぜんせけんほう にょれんげざいすい)というお経文です。「世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し」とお読みします。お釈迦様がこの世界で生きる私達に「蓮華のように生きなさい」と教えられた一説であります。

「蓮華」の花は、仏教を象徴する高貴な花でありますが、清らかな水辺に咲くわけではありません。黒くてドロドロとした泥の中に育ちながらも、美しい白やピンクの花を咲かすのです。私達も同じように、悪しきものが渦巻く世間や社会なかでも、染まること無く一本筋が通った、自分らしい蓮華のような生き方をしなさい、とお釈迦様はこのお経文で私達に訴えられます。

 例えば清原被告のただれた友好関係、ジャイアンツを取り囲む悪しき球界の習慣など、こうした「泥」の中で、清らかな生き方を貫くことがどれだけ難しいか、皆さんも心当たる節がおありではないでしょうか。そうした意味で、彼らの犯した「罪」とは、もとを糺(ただ)せば悪しき「世間の法」に染まってしまった人間の弱さの発露にほかなりません。

■「悪しき世界」で正しく生きる

 私たちは、時に人の噂や陰口などの雑音で心を乱されたりするものです。そして、自分人身のなかにある、怒りの心・他人を嫉む心・欲望に振り回される心によって、本来の自分の姿や進むべき道を見失ったりするものです。また人の良い所、煌びやかな所と、自分の劣っている所を比べては〝自分は不幸な人間だ〟と言って卑下したり、劣等感を感じたりするものです。そういえば、かつてK・Kコンビとして共に一時代を築きながら、プロ野球ドラフトで自らが希望していたジャイアンツに選ばれた桑田真澄元選手に対して、清原被告の心中には穏やかざるものがあったとも聞きますが……。

 そのような苦しみに生きるのではなく、「泥」という欲望渦巻く世の中で、その「泥」を栄養分としながらも、決して流されることなく、染まること無く「自分らしく」「自分にしか歩めない道」を、蓮華のように清らかに、しっかりと歩んでいく。これこそがお釈迦様が教えられた「蓮華」のような仏教的生き方であり、本来の豊かな生き方でありと言えます。蓮華の花が、仏教を象徴するお花になったのも、我々の目の前に広がる「悪しき世界」で、それでも正しく生きよという、お釈迦様からのメッセージなのかもしれません。

著者プロフィール

日蓮宗宗門史跡 名瀬 妙法寺 住職

久住謙昭

1976年横浜市出身。地元の中学卒業後、日蓮宗の総本山である身延山で6年間の僧堂生活(修行)を積み、平成8年に僧侶の資格を取得。立正大学大学院文学研究科修士課程修了。世界三大荒行堂といわれる日蓮宗大荒行堂を2度成満。横浜で700年以上の歴史を有する宗門史跡「妙法寺」の47代目の住職。一般社団法人「みんなの仏教」の代表理事。テレビ朝日「ぶっちゃけ寺」に出演。仏教の伝統や本質を守りながらも、現代社会に適応したお寺や仏教の姿を求め発信している。〝終活こそ僧侶の仕事〟をテーマに「僧侶がつくったエイジングノート」という終活ノートを出版、年間多くの公演活動を行っている。

公式サイト/日蓮宗宗門史跡 名瀬 妙法寺

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