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オバマ大統領の”広島スピーチ”が照らす「核なき世界」の現実|プチ鹿島コラム

オバマ大統領の”広島スピーチ”が照らす「核なき世界」の現実

 今回のオバマ米大統領の広島訪問について「政治的遺産づくりのため」という声があった。大統領の任期が終了間近になってキューバと国交回復したり、広島訪問を決めたオバマは「思い出づくり」なんだろうなぁと私も思っていた。センチメンタルジャーニー。

 漫才で言うなら、オバマはつかみが大ウケして(プラハ演説、ノーベル平和賞受賞)、この勢いだとどれだけ盛り上がるのかと観客に期待されたら意外に落ち着いた。せめて最後に良い印象を残してネタを終わりたいといった状況だろうか。だから広島訪問と聞いても「ああ、なるほど」と思った。

 でも、セレモニーなんだろうと思っていても、オバマが平和記念公園にきて演説をしてる姿をみたらやはりグッときた。その理由がなんなのか自分でも考えてみた。歴史的な瞬間というのもあるだろうけど、オバマの人としての力にひきこまれた気持ちが強い。

 私はいま政治のことを言っているのではない。自分のことや自分の身の回りのことを言ってる。この世の中はセレモニーだらけだ。政治家だけでなく、すべての人が毎日毎日、学校や職場や友人たちや恋人との「場」でセレモニーをおこなっている。その場で求められるふるまいや役割をこなしていかなければならない。もしかしたらそれが人生の正体なんだろうとも思う。

 そんなことを前提に考えると「セレモニーなんだけど、どれだけセレモニーを超えてみせるか」こそ重要かもしれないと感じたのだ。今回のオバマを見て。いろんなしがらみのなかで「自分が出せるリアル」をきっちり出していた。

 演説の内容が絶賛されているけど、私はあの「絵」だけでもいいと思った。平和記念公園で何かを思うアメリカの大統領。もちろんキレイごとだけではない。今回の広島訪問も核のボタンを同行させている。それは大いなる矛盾だが「だからこそ、理想を言っていかなければならない」のだろう。

 さて、「核なき世界」を訴えるオバマ大統領だけど、今月同じことを高らかに宣言したもうひとりのリーダーがいた。

 北朝鮮の金正恩第1書記である。今月36年ぶりに開催された朝鮮労働党大会で「世界の非核化の実現に努力する」と演説した。まさにアジアのオバマではないか!

 それなのに世界があまり感動してない。こんなことってあるか。まさか「セレモニーのためのセレモニー」だと思われているのか。金正恩よ、オバマに負けるな。

著者プロフィール

お笑い芸人(オフィス北野所属)

プチ鹿島

時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)など多数。

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