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90年代に異変?都知事選を知名度優先の”人気投票”にした意外な人物|プチ鹿島コラム

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 舛添都知事の辞任により「知名度優先の人気投票のような都知事選はもういい」という意見が多い。正直に言わせてもらうなら、何を今さらという感じだ。都知事選はそういうもんだとみんな割り切っていなかったけ?

 では都知事選はいつから「面白いイベント」になったのか。ポイントは「1995年」だ。

 本命といわれたのが石原信雄。自治省(現総務省)のお役人で、内閣官房副長官を長く続けてきた。オール与党推薦で出馬して、いってみれば「何も面白くない人」だった。しかし、勝ったのは青島幸男。大阪では横山ノックが府知事になった。同じ日に元タレント候補が東京・大阪を制したのだ。

 青島幸男は放送作家&タレントで直木賞作家にもなった大天才である。昭和芸能界をつくったスーパースターのひとり。参議院議員を務め、この都知事選では「都市博中止」を訴えて出馬した。あれよあれよと支持を集めて圧勝。青島都知事は都市博中止以外は何もやらなかった。他は、ドラマ『踊る大捜査線』の主人公の「都知事と同じ名前の青島です」というセリフが目立った程度。青島氏に期待した世間も「あれ?」という感じになり、一期だけで退任。

 このとき「誰が都知事になっても優秀な職員がいれば成立するのか……」と思ったのを覚えている。誰でもできるなら人気投票&お祭りでいいんじゃん、東京の顔は知名度さえあればいいんだろう、と虚無的な気持ちで思った。知名度が爆発した1995年には前フリがある。その4年前の1991年の都知事選だ。

 現職の鈴木俊一に対し、元NHKキャスターの磯村尚徳が出馬した。自民党の支持が分裂して格好の話題となった。アントニオ猪木も出馬の意欲を見せて盛り上がった。「まさか、プロレスラー都知事誕生?」と一気に世間はザワザワしたのだ(結局途中で出馬辞退)。さらに内田裕也も出馬した。ドクター中松がジャンピングシューズをはいて登場したのもこのときだ。1991年は今に続く「人気投票」「面白いイベント化」の流れをつくった都知事選だったのである。

 なぜ猪木は出馬しようとしたのか。実は1976年に猪木がモハメド・アリと試合をしたとき、磯村氏はNHKのニュースの中なかで「茶番ですね」と小馬鹿にしたのだ。猪木はこれをずっと覚えていたのである。完全な私怨である。私怨が91年の都知事選に持ち込まれ、政策論争抜きでワイドショーはかなり盛り上がった。舛添氏のわかりやすい金の話でワイドショーが盛り上がった原点もここにある。

 結論。都知事選がこうなったのは猪木・アリ戦が原因なのである。

 テレビで名を売って都知事になった人はワイドショーとは相性がいいのは当たり前だ。細かい点を騒がれるのも宿命だと思う。タレント都知事の賞味期限は2年と考えたほうがいい。そろそろ話題の無い「つまらない人」が都知事になってもいいような気がする。

著者プロフィール

お笑い芸人(オフィス北野所属)

プチ鹿島

時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)など多数。

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