[中国のヤバすぎる正体]

SEALDsのフジロック出演に賛否…中国人が考える”政治と音楽”とは?

SEALDsのフジロック出演に中国人漫画家が異論を唱える (C)孫向文/大洋図書

 こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。2016年6月17日、同年7月に開催される「フジロックフェスティバル‘16」において「SEALDs」メンバーの奥田愛基氏、ジャーナリストの津田大介氏、国際環境NGO「FoE Japan」の吉田明子氏らがトークイベントを開催することが発表されました。この件に対し、当然大きな反響が寄せられています。

■「音楽に政治を持ちこむな」と批判相次ぐ

 ネット上には「最悪、政治活動の場になったか」、「政治と音楽を混ぜるのは音楽に対して冒涜以外何者でもない」といった否定的な意見が多く寄せられ、Twitter上には「音楽に政治を持ち込むなよ」といったタグが作成されたほどです。

 僕自身は音楽に政治性を持ち込むことを否定しません。例えば1989年の天安門事件当時、香港の歌手たちが「為自由」(自由のため)という楽曲を作成し、民主化運動に参加する学生たちを鼓舞したことがあります。ただ「為自由」が披露されたのはあくまでも民主化をテーマにしたコンサート上でした。今回の場合は一般の音楽ファンが集まるフェス上で、音楽とは無関係な左派・リベラル系文化人たちがトークイベントを行うという点が問題だと思います。

 この件に対し、以前からSEALDsの活動を支持している「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のボーカル後藤正文氏は、「フジロックに政治を持ち込むなって、フジロックのこと知らない人が言ってるよね。これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージて繰り返してきたわけだし」(原文ママ)とイベントの正当性を訴え、コラムニストの小田嶋隆氏は、「『音楽に政治を持ち込むな』と主張している人たちは、あらゆる人間の営為(中略)を包摂する芸術である音楽から、特定の要素だけを排除できると考えている点でアタマがおかしいと思うんだが」(原文ママ)と、否定派に対し反論を行いました。しかし、彼らの意見を踏まえた上で僕は今回のイベントに対し異議をとなえます。

 まず音楽フェスというイベントの性質上、参加者たちはあくまでも歌や演奏で自分の意見を表現するべきであり、その場で音楽とは無関係な人物がトークイベントを行う光景は随分と奇異なものだと思います。後藤氏や小田嶋氏が言うように、黒人のソウルミュージックなど以前から反権力をテーマにした音楽が数多く存在するのは事実ですが、それらはあくまでも「被差別階級」の視点から作成されたものであり、差別や弾圧を受けていないにも関わらず自国の政治を批判する奥田氏や津田氏とは立場が根本的に異なります。彼らのトークイベントとソウルミュージックを同列に語るのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい話でしょう。

 僕が哲学者・千葉雅也氏の「知的・芸術的であることは反体制であることなんですよ基本的に」というフジロックのイベントに賛同するTwitter上の書き込みに対し、「反体制は一つのジャンルですよ」とリツイートを送ったところ、ただちにブロック指定されてしまいました。SEALDsのメンバーと同じく、この「自分と異なる意見は全く取り入れない」という姿勢は、日ごろ彼らが否定する「全体主義」、「権力による弾圧」に当てはまるのではないでしょうか。また中共政府が「紅歌」という共産主義賛美の歌を建国時から推奨しているように、千葉氏の主張とは裏腹に、旧ソ連をはじめとする共産主義国家では体制プロパガンダとして音楽が使用されていたのです。

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