田中角栄 日本が酔いしれた親分力(16)地方に賭ける6時間の熱弁

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田中角栄 日本が酔いしれた親分力(16)地方に賭ける6時間の熱弁

 1972年の大ベストセラーとなった田中角栄の著書「日本列島改造論」。そこでは都会と地方の経済格差をなくすための交通・情報インフラ整備を促す明確なビジョンが示され、いち早く地方分権への道が模索されていた。この先見的な政策は、いかにして生み出されたのか!?

 田中角栄は1971年(昭和46年)7月5日、佐藤内閣改造で、通産大臣になった。秘書官になった小長啓一は、大臣室に挨拶に出向いた。

 田中は、扇子をせわしそうにパタパタと扇ぎながら言った。

「君の生まれはどこだ」

「岡山でございます」

「温暖な気候の岡山の人間にとって、雪というのはロマンの対象だよな。川端康成の『雪国』のようにあくまで抒情的な世界だよ。だけど、新潟県人の俺にとって雪はロマンじゃない。雪というのは、生活との戦いなんだ。俺が訴えている地方分権や、一極集中を排除しなければいかんと言っている発想の原点は、雪との戦いなんだ。君が雪をロマンの対象と見ている限りにおいては、俺とは本質的にちがうよな」

 その年の暮れ、田中は小長に言った。

「俺は、通産大臣になってこの半年の間に、産業サイドから見た国土開発を勉強した。これで一応、国土開発の政策体系を網羅したことになる。3年前に都市政策大綱をまとめたが、抽象的で理屈が多すぎる。内容も難しい。専門家は評価してくれたが、もっと国民にわかりやすいものを産業サイドの視点も入れて作りたい。何か、できないかな」

 さっそく小長は、通産省の関係者に相談した。みな乗り気であった。

「やろうじゃないか」

 小長は田中に報告した。

「大臣、みなOKですよ」

「そうか。出版社は日刊工業新聞に頼もう」

 田中は、日刊工業新聞の白井十四雄社長と親しかったのである。さらに、冗談めかして言った。

「大手の新聞社のどこかから出すと、他の大手新聞社がひがむからな」

 小長は考えた。

〈田中さんなりに勉強を積んでいたのだな。過去の経験と勉強が合体し、体系ができてきた。

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