火葬の普及とともに徐々に廃れ、今や耳にする機会すら減ってきた野辺送り

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火葬の普及とともに徐々に廃れ、今や耳にする機会すら減ってきた野辺送り

『野辺送り』という言葉があります。遺体を火葬場または埋葬場まで送ることを言うことばですが『野辺の送り』『野送り』とも呼ばれるようです。転じてお葬式一般についてもこう呼ぶことがあります。葬送というよりちょっと優しい響きがする言葉ですね。

■野辺送りとは

野辺送りということは鎌倉時代から行われたといわれています。時代や地方で違いがあると思いますが、一般的に自宅から埋葬場までそれぞれが役割を決め列を作って亡くなった人を送っていきます。

まず松明や提灯を持った人を先頭に立ちます。これは江戸時代まではお葬式を夜に行う事が多かったからだそうです。次に『散華』という細かく刻んだ紙切れを入れた籠が続きます。これを撒くことにより霊を鎮め穢れをはらう意味があったそうです。弔旗、花輪、紙でできた蓮華の花を持つ人などが続き、ご飯を持った飯もち(枕飯)、僧侶、位牌持ち、棺と続き、棺の後に一般の参列者が続きます。野辺送りの間は持っているものの名前で呼ばれ、位牌は相続人が持つことが多く、枕飯は相続人の妻が持ちました。

ちなみに出棺の前に、お棺をその場で3度回したり、故人の使っていたお茶碗を割る、また仮門と呼ばれる門を通過させるなどの鎮魂の儀式もあったそうです。

■祖父の葬儀で体験した野辺送り

50年前の私の祖父の時にはこの野辺送りが割と忠実になされていました。

祖父は土葬で自宅での葬儀でした。位牌は長男の父が持ち、ご飯は母が持ちました。山の中腹にあるお墓に行くのには舗装もしていない道を歩きます。母は滑ってご飯を落としてしまいました。そばを歩いていた方が拾ってくれましたが泥がついてしまいました。母は亡くなるまで『祖父に悪いことをした』と言っていたので、私は小さかったのですがよく覚えているのです。

また平成でも地方によってはこの風習が続いています。主人の叔父の葬儀の時、火葬場へ行くバスの中で私は蓮華花をずっと持っていました。私の実家の地方ではもう絶えてしまっていましたが。

■時代とともに移り変わる言葉

風習は残っていても『野辺送り』の言葉はあまり使われなくなったようです。現在、遺体は〝野辺に送られる〟のではなく、骨壺に入れられ〝墓石の下のコンクリートの箱〟に納められます。

言葉は時代とともに移るものです。野辺送りの言葉も、火葬になり遺体を野に送らなくなってから使われなくなったように思えます。忘れるには惜しい言葉ですが、現実から見ると仕方ないのかとも思うのです。

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