【日本人が知らないニッポン】小田原城から見る日本戦争史の「転換点」

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【日本人が知らないニッポン】小田原城から見る日本戦争史の「転換点」


山国日本において、関東平野は極めて重大な意味を持ちます。

大人口を養う都市は、山がちよりも平坦であるほうが当然ながら都合がいいわけです。その上、関東平野は水資源豊富な穀倉地帯でもあります。京都を中心に発達してきた日本の政治機構を覆すなら、その拠点は自ずと関東平野になります。

戦国時代、この広大な土地の大半を手中に収めていたのは後北条氏でした。そしてその後北条氏の本拠地は、今回ご紹介する小田原城です。

・関東平野の覇者

後北条氏といえば、現代では「豊臣秀吉に太刀打ちできなかった勢力」というイメージが先行しています。

それはそうなのですが、秀吉が後北条氏を駆逐したというのはあくまでも結果です。むしろ当時の人々は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった後北条氏が秀吉に負けるとは思ってもみませんでした。

未だにはっきりとした出自が判明しない伊勢新九郎という人物が、武力で奪い取った伊豆から箱根を越えて小田原にやって来た時、日本史は大きく変わりました。新九郎の子孫たちは、その後僅かな期間で日本一の穀倉地帯をほぼ制圧してしまったのです。

関東には鎌倉公方や関東管領といった室町幕府制定の役職が存在しましたが、15世紀末にはそれが形骸化していました。後北条氏の台頭は、室町幕府の弱体化を象徴する事態でもあります。そもそも室町幕府とは中央政権が異常に弱かった体制なのですが、後北条氏の躍進はそれに拍車をかけてしまいます。

・難攻不落の小田原城

小田原城は堅城として知られています。

織田信長が桶狭間で今川義元を討ち取った直後、関東では上杉謙信が関東に兵を繰り出していました。

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