「兄殺し」金正恩の未来を日本史から前例から推察すると…

| まいじつ
「兄殺し」金正恩の未来を日本史から前例から推察すると…

“腹違い”の兄の金正男を暗殺した、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長には、どんな未来が待ち受けているのだろうか。血のつながっていない叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑したときは、高射砲で跡形もなく死体を消し去ったといわれる。そのため悪夢にさいなまれ、睡眠薬が手放せない状態だったというが、今回はそれ以上だろう。

日本史が正恩委員長の未来を教えてくれる。

結論から言えば、兄を亡き者にして権勢を振るった弟はいない。例えば戦国時代の甲斐国の武田家。本来であれば、武田信玄の跡継ぎは嫡男のはず義信だったが、義信は義父の今川義元に与して信玄に歯向かうようになり、廃嫡される。それに代わって当主に納まった四男の勝頼は、側室の子だったこともあって、武田家の家臣をまとめ切れなかった。そして結局、武田家は勝頼の代で滅亡している。

弟が兄を差し置いて家督を継ぎ権力を握って成功した例があるが、それは兄を亡き者にしなかったという共通項がある。織田信長の兄は、弟に屈服することで生きながらえた。上杉謙信の兄は、弟に家督を譲って世捨て人になった。

金正男氏は権力を目指さず、日本に3人とも4人ともいわれる愛人を持ち、かつては頻繁に来日していた。奔放な遊び人でありながら、世襲を批判し、中国の庇護を受けていたことが、正恩委員長の癇に障ったようだ。

鎌倉幕府の源氏によく似た状況の金ファミリー

兄殺しに限らず、戦国時代には骨肉の争いが多く見られる。親殺しについては、伊達政宗や斉藤義龍、大友宗麟で、子殺しは武田信玄や徳川家康、最上義光の例がある。

積極的に親を殺したのは、“美濃の蝮”と恐れられた斎藤道三の子である義龍くらいであるが、実子ではないからこそ実行できたのかもしれない。ちなみに毛利元就は弟を殺しているし、尼子経久は子を殺している。

源頼朝の四男で鎌倉幕府3代将軍の実朝は、2代将軍の兄である頼家から家督を継いだ。実朝を将軍に担いだ北条氏は、兄の頼家を暗殺する。このとき、実朝は手を下しておらず、実権も北条氏に握られていた。ただ、トップの座にあるときに兄が暗殺されるというケースは北朝鮮と相似している。

実朝は、暗殺された頼家の子の公暁によって、“親の敵”として殺される。これで頼朝の直系は途絶えた。“祖父が興し、親が大きくして、孫がつぶす”とはよく言われるが、実朝を正恩委員長に、頼家が正男氏、公暁が金漢率に代わると、金ファミリーは源家三代に似ている。

金日成から続く“白頭山血統”による支配も、終わりの日が近いのかもしれない。

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