喪服やブラックフォーマルの購入は新社会人としての身だしなみの1つ?

| 心に残る家族葬
喪服やブラックフォーマルの購入は新社会人としての身だしなみの1つ?

「ブラックフォーマルを買うべきか」ーー社会人になったら、身内の不幸があるなしに関わらず多くの人が、どこかの時点で考えることではないだろうか。大手百貨店でも年に1度は「ブラックフォーマルフェア」という催事を開催している。会場では「1着は持っておいたほうがいいですよね」というお約束のフレーズに若干購買欲をそそられる。

■買って後悔 買わずに後悔

下手したら年に一度も着用することがないかもしれない。しかし決して安くはない。でも大人として1枚は持ってないと恥ずかしいかなと葛藤する。そして迷ったまま購入しない人、思い切って購入する人。個人的には前者である。そして、他の用途でも使えるもの(黒いスーツなど)で代用すればいいよねと軽く考え、実際葬儀に行くと、やはりなんとなく「使い回しの洋服でケチった」感があるかなと反省する。長年この繰り返しだ。この悩みはどこから来るのだろう?

■喪服が一般化したのは昭和から?

ところで、時代劇を見ると葬儀では「白」い着物を着ている。いつから「黒」が喪の色になったのだろうと気になった。調べると、明治時代から始まったらしい。明治11年に行われた大久保利通の葬儀に、政府有力者が黒の大礼服で出席したことがきっかけということだ。

明治維新後、今までの価値観や制度を覆し、西洋列強に追いつけということで、従来の慣例を廃して欧米化に躍起になっていた時代。大久保卿の葬儀はそういった意味でのパフォーマンスだったのかもしれない。新しい葬儀スタイルという大いなるデモンストレーションだ。当時の人の目にはどう映ったのだろうと考えると面白い。ただ果たして、その時代に一般化したのか?と不思議に思いさらに調べると、一般化したのは昭和に入ってからだ。

■喪服を何故着るのか?

戦争によって多くの人が亡くなり、貸衣装として汚れづらい「黒」の喪服が広まったらしい。つまり、ブラックフォーマルの歴史はかなり浅い。それなのに、大昔からそうだったよ、というように現代では常識化している。

「どうしてみんな黒い服を着るの?」と聞かれたら「みんなが着るから」という答えは間違っていない。東日本大震災で多くの人が亡くなった際、被災地では毎日のように葬儀が行われた。着の身着のままで避難した人たちに礼服の準備などなく、多くの人が普段着で参列せざるを得なかった。思い返すとあれ以上厳粛で悲しい葬儀の光景もない。喪服は一種の形式ではあるが、日本人は形式を大切にする民族、周囲との協調を無視できない。ブラックフォーマルを着るということは、他の人から奇異な目で見られないため、他の人に違和感を抱かせないため、優しい日本人特有の周囲への配慮、ともいえるのではないだろうか。

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