芸能界復帰を“終活”と位置づけて、ついに動きだした桜田淳子(58)。前所属事務所・サンミュージックの相澤秀禎元会長(享年83)が待ったをかけて一時は頓挫したカムバック計画を、こっそり後押しする存在がささやかれている‥‥。
4月7日、東京・銀座博品館劇場で、13年11月の40周年公演以来となる一夜限りの復帰を果たした桜田。「スクリーン・ミュージックの宴」と題されたステージでは、ミュージカルナンバーのほか、81年にカバーした中島みゆきの「化粧」も熱唱して喝采を博した。スポーツ紙記者が明かす。
「アイドル全盛期を知らないので比較できないが(苦笑)、しっかりとボイストレーニングを積んでいた様子。会場には100人以上の報道陣が詰めかけ、ニュースバリューの大きさがうかがえました。同時に、サンミュージックの草創期を支えた功労者ということが伝わってきた。『相澤会長時代から方針は変わってない。統一教会(現・世界平和統一家庭連合)を脱退しないかぎり、再び所属することはない』と明言しながら、現場にはサンミュージック社員の姿もあり、実質的な仕切り役のように映った」
桜田は92年8月に韓国で行われた「3万組国際合同結婚式」に参加し、芸能活動を休止。ほとぼりが冷めた07年にベストアルバムを発表すると、レコード会社や音楽関係者の間で復帰プランが進められたが、
「謝罪会見が先だ」
という相澤元会長の一声で、立ち消えになっていた。その後も、サンミュージックは「陰ながらバックアップすることもない」と一貫して関与を否定してきたが、12年5月、相澤元会長の死を境に微妙な変化が生じていた。ワイドショーデスクが話す。
「桜田が葬儀に参列した時も、『お待ちしていました』とVIP待遇でしたよ。翌年10月にはデビュー40周年記念アルバムをリリースし、11月の一夜限定イベントへとつながった」
ただ、本格復帰するまでには大きな壁があった。