【新東方見聞録】徳川家康とベトナムの知られざる「蜜月関係」(ベトナム・ホイアン)

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【新東方見聞録】徳川家康とベトナムの知られざる「蜜月関係」(ベトナム・ホイアン)


徳川家康という人物は、「鎖国」を推し進めた内国主義的な政治家というイメージで語られてきました。

ですが近年の研究では、対外交易に極めて積極的な人物としての側面が浮かび上がっています。たとえば、駿府(現在の静岡県静岡市)の安倍川河口を工事して外国船が停泊できる水路を家康は造らせようとしました。

関ヶ原の戦いで石田三成に勝利し、征夷大将軍となった家康は東南アジアに朱印船を送り出します。その中でも、ベトナム・ホイアンとの交易は極めて盛んなものになりました。

・「貿易は儲かる」という常識

ベトナム中部の都市ホイアン。この町を流れるトゥボン川は、海と接続する交易水路として同地に莫大な富をもたらしました。

17世紀初頭から約30年間、徳川政権下の日本とベトナムは朱印船というパイプで結ばれ、複数の豪商を輩出しています。家康としては、彼らに海洋開拓を任せて日本を重商主義の国にしようという思惑だったはずです。

日本は16世紀から、流れとしては対外交易発展の道を進んでいました。織田信長が登場する以前にも、中国地方の有力大名大内義隆が貿易で巨万の富を得ています。さらにそれ以前、足利義満は日明貿易のためだけに明朝の冊封を受け入れています。

それだけ、貿易は儲かるのです。数々の修羅場をくぐり抜けてきた戦国大名が、その可能性を否定しないはずがありません。

・「日本人建造」の橋

ホイアンには、来遠橋という建造物があります。

これは屋根付きの橋で、16世紀末に日本人コミュニティーが作ったという言い伝えが残っています。ホイアンに限らず、この当時の東南アジアには日本人街が各地にありました。

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