戦後の朝日新聞の出発点「共産主義運動への参加宣言」を振り返る

| まいじつ
studiostoks / PIXTA(ピクスタ)

韓国メディアが崇拝してやまない独島(日本名=竹島)について「私が守る」と驚くべき発言を行った元朝日新聞主筆のK・Y氏は、「安倍首相たたきは社是だ」と言い放ったことがある。朝日の政治的意図をあらわにした“中韓のプロパガンダ機関”としての堂々たる宣言だ。

このK・Y主筆は、「安倍の葬式はうちで出す」とも言ったが、実際、“葬式”は部数激減の朝日の方が先になってしまいそうだ。

さて、ここで指摘しておきたいのは、戦後の朝日新聞の出発点は“共産主義運動”への参加宣言であったことだ。敗戦から約3カ月後の1945年11月7日付一面で、朝日は《国民と共に立たん/本社、新陣容で「建設」へ》という記事というより宣言を掲げている。

戦争中、軍部に協力した報道責任を取るために、社長以下全役員、編集幹部が辞職し、今後は「あくまで国民の機関たることをここに宣言する」と述べているのだが、この“国民”とは支配者層と区別された“労働者階級”であり、朝日の“民主主義戦線”とは当時の日本共産党が唱えていた“民主戦線”にほかならない。

共産主義の言葉こそ隠しているが、これは朝日の共産主義運動への参加宣言だった。この“宣言”の起草者は、のちにマルクス・レーニン主義を信奉し、毛沢東“信者”となる森恭三氏(論説主幹)だった。だから保守派は、朝日の記事を「公正中立」だと信じて読んではいけないと主張してきたわけだ。

過去のプロパガンダ報道の数々

中国報道は毛沢東主義の立場から報道され、軍事政権下にあった韓国には、“民主勢力”と朝日が見ていた北朝鮮の観点から報じられた。当時、北朝鮮が南侵用(韓国侵入)として掘ったトンネルを《韓国側から掘っている》と報じていたし、1982年には外交事件に発展する『教科書誤報事件』を(朝日だけではないが)起こしている。これは当時の文部省が教科書検定で《華北へ侵略》を《華北に進出》に変えさせたとする誤報だ。

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