「大阪城でもウェーブやります!」KUSHIDAから感じる90年代の新日本プロレス

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「大阪城でもウェーブやります!」KUSHIDAから感じる90年代の新日本プロレス

 「3年越しでここ代々木(競技場・第二体育館)がチケット完売になりました!優勝したら、やりたいことがあるんですけれども…。ご協力をいただいてもよろしいでしょうか?僕が新日本プロレスファンだったころ、東京ドーム、両国国技館で客席からウェーブが発生していました。ベタですけど、ここ代々木で復活させてもよろしいでしょうか?」

 今年の『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr. 24』の決勝戦(6.3代々木第二大会)で、ウィル・オスプレイを破り、2年ぶり2度目の優勝を果たしたKUSHIDAはマイクを握ると、観客にウェーブを促した。

 新日本プロレスで初めてウェーブが発生したのは、木谷高明オーナーが「90年代新日本プロレス東京ドーム大会のベスト興行」と話している90年2月10日に開催された『スーパーファイトIN闘強導夢』。休憩前にマサ斎藤がラリー・ズビスコを破り、AWA世界ヘビー級王座を戴冠したことで東京ドームの熱が一気に上がり、休憩明けにラインナップされた当時は画期的だった、新日本プロレスと全日本プロレスの対抗戦を待ちきれない一部のファンがドームを走り回ってファンに呼びかけて実現したのが始まりとなっている。

 その後しばらくの間、ドーム大会では恒例となっていたが、『G1クライマックス』の両国国技館大会にも飛び火し、前代未聞のマス席ウェーブが発生。会場でのウェーブは90年代の新日本では見慣れた光景である。恐らく当時のKUSHIDA少年もその輪の中にいたのだろう。KUSHIDAはプロレス会場でのウェーブを知らないファンに対して、しっかりとレクチャーすると、3,454人(札止め)に埋まった代々木第二体育館をファンのウェーブが綺麗に2周した。

 「やっぱり、『G1クライマックス』には負けたくないし、『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.』というブランドを上に上げていきたい。

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