いま、労働市場では不思議な現象が起きている。労働力需給がひっ迫しているのに、賃金が上がらないのだ。
5月の有効求人倍率(季節調整値)は、前月比0.01ポイント上昇の1.49倍で、1974年2月以来、43年3カ月ぶりの高水準となった。一方、「毎月勤労統計」によると、5月の実質賃金指数は、前年比0.1%増と、ほとんど上がっていないのだ。
経済学の理論によれば、労働力需給がひっ迫すれば、賃金は上昇することになる。ところが、いまの日本は経済学の原理が成り立っていないのだ。
賃金が上がらない理由は、高齢化の進展だという指摘もある。欧米と異なり、日本の場合は60歳の定年を境に賃金が大きく下がるから、高齢化が進展すると、人口構造の影響で賃金が下がってしまうというのだ。その影響はゼロとは言えないが、本質的な問題ではない。「賃金構造基本統計調査」で年齢別の賃金をみると、40代の賃金も、50代の賃金も下がっているからだ。やはり、企業は強い意志で賃金を抑制している。つまり、成長の成果を働く人に分配しなくなっているのだ。
法人企業統計によると、昨年度末の企業の内部留保は、前年比23兆円増の390兆円に達している。内部留保は、設備投資等に回されているので、企業がすぐに使えるお金ではないという指摘もあるが、企業の保有する現預金も前年比8兆円増の189兆円に達している。企業は賃金を上げるのではなく、とにかく内部留保を増やすことに躍起になっているのだ。
なぜそんなことになるのだろうか。それは、経済学の基本理念に明確な変化があったからだ。
1980年代まで、経済学は付加価値の源泉を「労働価値説」でとらえていた。働く人が額に汗して一生懸命働くから、付加価値が生まれる。だから、労働者は経済にとって最も大切な存在だったし、稼ぎ出した付加価値は、まず労働者に分配されるべきものだったのだ。
かつて松下幸之助は、「会社は従業員だけでなく、その労働を支える家族の部分にまで責任を持つべきだ」と発言した。会社は、そもそも従業員のために存在していたのだ。
しかし、90年代以降、経済学の主流は、新古典派経済学に代わった。新古典派経済学は、資本家が、労働力と資本財(製造設備)を組み合わせて生産を行った途端に付加価値が生まれると考える。つまり、労働者は機械と同様に、企業が利益を生むための道具にすぎないと考えるようになったのだ。
道具だから、使えるだけ使い倒して、要らなくなったら斬り捨てる。道具だから、もちろん利益の分配の必要などないのだ。
安倍政権初期の頃には、経済団体もアベノミクスに協力して賃金を上げようと努力したこともあった。しかし、この数年は、企業側が政府の賃上げ要請を一切受けつけない状態が続いている。
企業に賃上げの意向がなくなった以上、対策は一つだ。法人税率を上げて、消費税率を引き下げるのだ。そうすれば、消費者の実質所得が増え、さらには消費拡大に通じた景気拡大が実現し、デフレ脱却も可能になるだろう。
森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 なぜ賃金が上がらないのか
2017.07.31 14:00
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