日本史において、ある種異様な時代区分でもある鎌倉時代。
その時期を代表する仏師が、運慶です。
運慶と言えば、逞しく雄々しい神仏像を手がけたことで知られています。その姿は、まさに荒ぶる剛力を具現化したようなもの。運慶の作品群は、我が国日本の宗教美術にしっかりと刻まれています。
この記事では、日本史上稀に見る彫刻美術家の足跡を追ってみたいと思います。
・業火の彫刻
運慶の生年は今も判明していません。しかし様々な史料を整合していくと、どうやら1150年代生まれではないかと言われています。
没年が1224年ですから、当時としては相当な長生きをした人だというのが分かります。
ちなみに平清盛の生年が1118年、源頼朝が1147年です。平安から鎌倉へ政権が移譲する激動期を、運慶は生きたのでした。
さて、政権移譲期とは言い換えれば「簒奪」か「放伐」であり、それはつまるところ「過去の否定」です。京都の公家たちが太平の世を過ごしてきた時代の仏像は、華美で穏やかな姿をしています。外敵の存在を一切気にかける必要はなく、ただただそこに鎮座し瞑想に耽るというイメージでしょうか。平安の仏像は、ゆったり流れる時の中で溜め息をつくかのような雰囲気を醸し出しています。
ですが、運慶は「戦乱の子」です。奈良の寺社仏閣が無残に焼かれるのを見てきました。そんな彼の作る神仏像は、槌の一振り一振りに燃えたぎる感情が込められた「業火の彫刻」とも言えます。
・鎌倉幕府のお抱え仏師
運慶の仏師としての斬新性を最初に見出したのは、北条時政という男でした。