野村沙知代さん死去…思い出される浅香光代との「強烈な因縁」

| まいじつ
野村沙知代さん死去…思い出される浅香光代との「強烈な因縁」

プロ野球のヤクルトスワローズ、東北楽天ゴールデンイーグルスなどで監督を務めた野村克也氏の妻で、“サッチー”の愛称で親しまれたタレントの野村沙知代さんが12月8日、東京都内の病院で亡くなった。

沙知代さんは野村氏がヤクルトの監督に就任したあたりから、辛口論評のタレントとしてテレビ番組などに出演するようになった。1996年、当時の新進党から衆議院選挙に比例区から出馬したが落選。その際に経歴詐称疑惑で告発され、さらに女優の浅香光代との批判の応酬になり“ミッチー・サッチー騒動”としてテレビのワイドショーで取り上げられるなど、世間を騒がせた。

浅香は沙知代さんの訃報を聞いて「わたしよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです」とコメントを残した。このふたりの因縁は、1999年3月31日、浅香がそれまでレギュラー出演し、その日が最後の出演だったTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』内でスタートした。

東京都知事選挙に絡んで沙知代さんが立候補した1996年の衆院選の結果に基づき、次点だった沙知代さんに繰り上げ当選の可能性が出たことに対し、浅香は沙知代さんを「あんな人はもう嫌。引っぱたいてやりたい」、「何が代議士よ。挨拶もろくにできないのに何考えてんだ。税金の無駄遣い。笑わせるんじゃないってんだよ!」、「テレビの若い人や運転手を『馬鹿野郎』と怒鳴りつけるなど弱い者いじめが過ぎる。あんな女を番組に起用するから増長する」などと痛烈に批判したことに始まる。背景には、その1年前まで浅香と沙知代さんが共演していた舞台で生じた確執があったという。

「浅香のコメントで救われた」

「このことに始まり、デヴィ夫人や神田うのなど沙知代さんを批判する人たちが次から次へと出てきて、歯止めが利かなくなりました。2001年には法人税法違反の容疑で逮捕され有罪に。一時タレント活動を自粛しましたが、実は海外ロケなどをする際には、スタッフに小遣いをこっそりと渡して『これで何かお土産を家族に買いなさい』と言ったり、やさしい一面もありました」(テレビ関係者)

野村氏との結婚前、前夫とのあいだにもうけた2子はともに元プロ野球選手で、長男の団野村氏はMLBの交渉代理人として知られている。野村氏とのあいだに生まれた克則氏はヤクルトでコーチを務めているので、そのDNAは確実に野球界に生きている。

「あんなに憎みあったふたりなのに、浅香が追悼のコメントをして救われた気分」という関係者も多い。とにかく過去のいざこざはいったん水に流されたようだ。

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