楽天 星野仙一氏“遺言”か? 次期監督に犬猿・落合博満氏が浮上

| 週刊実話

 年が明けたばかりの1月4日、かつて中日のエースとして活躍し、その後は中日、阪神、楽天の3球団の監督として優勝を経験。2008年の北京五輪では野球日本代表監督を務めた星野仙一東北楽天球団副会長が、70歳で死去した。星野氏の病状を知らされていたのは三木谷浩史オーナーや立花陽三球団社長ら、球団のごく一部で、親友の田淵幸一氏、山本浩二氏にも知らされていなかったという。

 星野氏は2016年7月、急性すい炎を発症したことをきっかけに、すい臓がんであることが判明。そのことはおくびにも出さず、昨年12月に行われた野球殿堂入りを祝うパーティーにも元気な姿を見せていた。しかし、12月末から病状が悪化していたという。
 「プロ野球をこよなく愛した星野氏が、最後まで気にかけていたのが、東北楽天ゴールデンイーグルスの今後です。球界は三木谷氏のライバルである、孫正義氏率いるソフトバンクの一人勝ち状態。自分を監督、球団副会長として厚遇してくれた三木谷氏への恩に報いるため、ソフトバンクに比肩するチーム作りが最後の仕事と考えていた。そこで行き着いたのが“あの男”。私情をかなぐり捨てて、落合博満氏(64)を後任監督にするよう進言していたそうです」(星野氏と親しい球界関係者)

 2年連続最下位だったチームの再建を託した梨田昌孝監督(64)は1年目が5位、契約最終年の昨季は首位ターンしたものの3位。三木谷氏は1年限定で契約延長を決めたが、今季も優勝を逃せば、監督交代は既定路線になる。

 星野氏と落合氏の因縁は深い。1986年オフ、当時、中日の監督に就任したばかりの星野氏は、すぐに1対4の世紀の大トレードを敢行。ロッテから2年連続三冠王に輝いた落合氏を獲得した。これが功を奏し、星野中日は1988年に6年ぶりの優勝。星野氏を男にしたことで、この世紀のトレードは高く評価された。
 しかし、2人の良好な関係は、長くは続かなかった。
 明治大学応援団長から同大野球部監督に就き、鉄拳制裁を是とする“御大”島岡吉郎氏の薫陶を受けた青年監督と、東洋大時代には上級生のしごきに嫌気が差して退学し、社会人の東芝府中に転身して頭角を現した落合氏。同じユニホームを着ていても、野球観は対極に位置していた。

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