北朝鮮が「アジア系アメリカ人」を人質にしていた理由

| まいじつ
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北朝鮮に拘束され、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官の訪朝に合わせて5月9日に解放された3名のアメリカ人。この人々は朝鮮系のアメリカ人で、そのうち2名は平壌科学技術大学の関係者だった。おそらく“対米カード”としてあえて拘束された人たちだろう。解放はディール(取引)なしに行われたが、日本の拉致被害者も落ち度はない人々なので、奪還には取引なしという態度を貫く必要がある。

「19世紀にアメリカ人牧師のウィリアム・グリフィスが、『隠者の国 朝鮮』(1882年初版発行)という本を著しています。日本が併合する前の朝鮮は社会状況がひどく、“隠者”という言葉には繁栄とは無縁の国という意味が込められています。しかし、北朝鮮へ観光したがる外国人は多く、韓国の統一研究院などによれば、2012年時点で観光に訪れたのは中国人が年間5万~6万人と最も多く、そのほかは数千人ほど。このうちアメリカ人は年間で500~800人ほどが訪れており、関心は高いです。しかし、約1年半拘束されたバージニア大学のオットー・ワームビア氏が昨年6月の解放直後に死亡すると、アメリカ政府は北朝鮮への渡航を原則として禁じました。北朝鮮はこの後、朝鮮語が話せず、文化の違いも大きいアメリカ人の抑留に慎重になったとみられています」(国際ジャーナリスト)

アメリカに帰国した3名は朝鮮語を理解できるため、北朝鮮側は長期間の拘束に耐えられると判断したようだ。

大学へ各学期ごとにアメリカ人スタッフを派遣

「平壌科技大は、南北協力事業の一環として設立準備が進み、2010年10月に本格的に運営が始まった新しい大学です。資金は欧米に住む韓国系の人たちがキリスト教団体などを通じて寄付し、運営にも韓国系のアメリカ人が携わるようになりました。このようにアメリカは、危機的状況が最悪の事態に陥らないように最後のチャンネルだけは維持してきたのです。

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