テリー 82年夏・83年春を連覇したことで、水野さんは「阿波の金太郎」と呼ばれて、名前が全国区に知れ渡っていくじゃないですか。あの時は、どんな気持ちだったんですか。
水野 いやぁ、不思議な気分でしたね。最初は「水野雄仁」と1行名前が載っているだけでもうれしくて、高校野球の雑誌を何冊も買っていたんです(笑)。それが、1年後にはスポーツ紙の1面を飾るようになりましたから。
テリー 卒業後には巨人からの1位指名ですもんね。
水野 王(貞治)さんが監督になって初めてのドラフトでの1位指名ですから、光栄でしたね。僕らの世代なんかは、まさに王さんが憧れの選手でしたから。
テリー 当時の巨人はどんな雰囲気だったんですか?
水野 僕が入った頃は、とにかくブルペンが豪華でした。江川(卓)さん、定岡(正二)さん、西本(聖)さん、鹿取(義隆)さん、角(盈男)さんでしょう。
テリー 当時は野手もすごかったですよねぇ。
水野 本当に。試合でマウンドに立つと、内野に中畑(清)さん、篠塚(和典)さん、原(辰徳)さんがいて、キャッチャーは山倉(和博)さんですから。何かあると、今までテレビで見ていた人が自分の周りに集まってくるわけですよ、今考えてみてもすごいですよねぇ(笑)。
テリー うわ~、そんなスター選手たちに囲まれて、さぞ緊張したでしょう。
水野 緊張する暇もないというか、「さすがプロは違うな!」と感心するほうが大きかったです。抜かれたと思った球でもダブルプレーを取ってくれたり、やはり皆さん、守備はうまかったですから。
テリー チームでは誰と仲がよかったんですか。