檀家離れが進む理由とお寺に関する数々のトラブルにはある共通項が存在する

| 心に残る家族葬
檀家離れが進む理由とお寺に関する数々のトラブルにはある共通項が存在する

7月に筆者の菩提寺において、盂蘭盆会の法要が営まれた。墓参の後暫く会っていなかった親戚と雑談していたが、雑談のなかで菩提寺が閑散として非常に寂しいという話がでてきたのだ。筆者としても感じるところではあったものの、内情については数年前に住職に聞いて納得はしていた。

■連絡が取れない檀家のお墓は撤去され、空き地が増え続けるお寺

菩提寺の内情としては、記録上百年もの間墓参した記録が無いお墓については、供養のうえで墓仕舞いをして遺骨は無縁仏として丁重に扱う、空いた墓地には新規の檀家を募集するとのことだった。つまりは檀家の収入が減少し、菩提寺の維持費も高騰を続けている状態では運営状況が苦しい故での苦渋の選択であったのだ。

結果は、かつて墓地に満杯状態であった暮石が半分程に減少してしまい、実に空虚な空間となってしまったのだ。親戚はそれを見て寂しいと言っていたわけだが、前述の状況を説明すると、予想していたとおりだが実際に目の当たりにすると寂しいなと苦笑していた。

■廃れるとは…

ここで思い出したのが、数年前奈良県明日香村に旅行し、山田寺跡を見学したことだ。乙巳の変の立役者の一人、蘇我倉山田石川麻呂が建立したが、謀反の疑いを掛けられたうえ、一族諸共山田寺で自刃したとされている。

千数百年前に栄華を誇り、様々な戦乱を経験しつつも平安時代までは法灯は残されたが、結局堂宇は悉く失われ現在は講堂跡とされる場所に観音堂がひっそりと佇んでいるのみであった。見学した時、筆者は石川麻呂が自刃した場所とされる礼拝石の前において、巨大な寂寥感を感じ暫し呆然と立ち尽くすのみであった。

親戚の寂しさと筆者の寂しさ、同一のものかは知らないが、失われたものに対するある種の普遍的な部分はあるのかもしれないと考えている。

■報じられない檀家離れが進む理由

最近、檀家が寺から離れていく旨の報道に接し内容を読み込んでいくと、現在は僧侶であっても選択される時代であるとか、檀家からの収入が激減したことで堂宇の維持はおろか、僧侶の生活すらままならなくなっていると記載されていた。しかし、檀家が離れていく原因については一切触れられていなかった。

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