プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「小橋建太」生きざまでファンを熱狂させた“絶対王者”

| 週刊実話

 サラリーマンを辞めてコネでプロレス界入りした凡才が、いつしか業界のトップに立ち“絶対王者”と称されるまで成り上がってみせた。そんな小橋建太のサクセスストーリーを支えたのは、周囲があきれるほどの練習量とたゆまぬ努力であった。

 “努力を重ねた末に成功を果たす”というのは少年漫画やドラマの定番ストーリーだが、プロレスの世界においては決して主流ではない。

 トップスターに求められるのは、リング上でのアピールにつながる天才的な格闘センスや過激なフィニッシュホールド、あるいは怪物的な体躯やアイドル的なルックスなど、見た目にも派手な部分であり、レスラーの内面を表現する場合も“悪役に向けた怒り”や“痛みに耐える根性”というような、やはり客席に伝わりやすいものとなる。目に見えづらい日頃の努力などは、あくまでもサブストーリーの位置付けだ。

 その意味からすると“努力”を前面に打ち出してトップを張った小橋は、古今東西のプロレス界を見渡しても相当にまれな存在ではなかろうか。

 若手時代の小橋についてジャイアント馬場が「趣味は練習」とテレビ解説で評したように、その頃のウリはほぼそれ一本。

 特別に技術やパワーで優れていたわけでもなく、デカくもなければマッチョでもない。顔つきも整ってはいるが、とりたててイケメンでもなく、マイクパフォーマンスなどはむしろ不得手であった。

 さらに言えば、ライバル関係などのアングルにも恵まれてこなかった。

 ジョニー・エースやパトリオットと組んだユニット“GET”や秋山準らと組んだ“バーニング”は、実質的に小橋が主役のユニットではあったが、その当時の全日本プロレスのメインストーリーはあくまでも四天王プロレスであり、軍団の長であることの価値はさほど高いものではなかった。

 「それに四天王の他のメンバー(三沢光晴、川田利明、田上明)は年齢や経歴で明らかに上回っており、小橋からすれば乗り越えるべき壁ではあっても、ライバル関係とは言い難いものでした」(プロレスライター)

 アマレスで全国レベルだった三沢と川田、大相撲で十両まで昇進した田上と比べると、部活程度の柔道経験しかない小橋は、プロ入り前のバックボーンでかなり見劣りする。

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