平成最後の「10.19」―記者は川崎球場を訪れた 30年で変わった風景、変わらない熱気

| Jタウンネット
現地にはすでに数十人のファンが集まっていた

今から30年前の秋の「パリーグの一番長い日」と語り継がれる戦いを皆さんはご存じだろうか。

1988年10月19日――。神奈川・川崎球場で行われたロッテオリオンズと近鉄バファローズのダブルヘッダー。近鉄が2連勝すればパリーグ優勝という2連戦は、第1試合、第2試合ともシーソーゲームの末、最後は規定により時間切れ引き分けというドラマチックな幕切れに終わった。

熱戦から30年経っても当時の模様が忘れられないファンが多く、10月19日には毎年ツイッターで「エア実況」がなされ、現地でイベントが行われている。節目の今年、Jタウンネットはそのイベントと、川崎球場の今を取材した。

わずかに残る球場時代の遺構

10.19当時に川崎球場をフランチャイズにしていたロッテオリオンズは1991年限りで千葉に本拠地を移転し、2000年限りでスタンドなども解体された。現在は「富士通スタジアム川崎」という名で主にアメフトやサッカーに使われていて、川崎市の指定管理者として川崎フロンターレが運営している。

川崎駅から15分ほど歩くと、住宅の中にそびえ立つ照明塔が現在の富士通スタジアム川崎の目印。照明塔は川崎球場時代から残っている数少ない構造物である。


現地にはすでに数十人のファンが集まっていた

近鉄阿波野投手、ロッテ高沢選手のユニフォームを模したマネキンが出迎え

午後5時頃、30年前は第1試合終盤に差し掛かった時間だが、いつもと変わらぬ住宅街の光景といった印象。それでもかつてのパリーグのチームのユニフォームを着た人がちらほら集まっている。近鉄とロッテだけでなく、阪急、南海、日本ハムとチームは様々で、チームを超えたパリーグ愛を感じさせた。そもそも川崎球場でこのようなイベントが毎年行われているのは、スタジアムの支配人、田中育郎さんのこの球場への思いが大きかった。

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