五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(6)故・小島武夫への想い

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五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(6)故・小島武夫への想い

──今年もいろいろな方が物故されました‥‥。

五木 よく、同世代や同業の方が亡くなられて寂しいでしょうと聞かれるんですが、ぼくは全然寂しくないんですよね。井上ひさし野坂昭如、そして一昨年は大橋巨泉永六輔、みんな昭和一ケタ生まれの同世代がどんどんいなくなったけど、「あ、あいつ先に向こうへ往ったのか」みたいな感じで。

──プロ麻雀士の小島武夫(5月28日心不全で死去、享年82)さんのことを「週刊新潮」で書かれてました。

五木 そう。小島さんの死は、ちょっと寂しかったなあ。彼は最後のミスター麻雀だった。昔、彼からレコードを出すから詞を書いてくれって言ってきたことがあって、ぼくは小島さんの生涯を象徴するような歌を書いてやろうと、「どんな歌でも歌うかい」と聞いたら「歌う」というので、『おれはしみじみ馬鹿だった』(1979年/作曲:菊池俊輔)という歌を書いた(笑)。作曲は『昭和残侠伝』なんかを書いた菊池さんだけど、歌がヘタで売れなかったな(笑)。当時の週刊誌やテレビで、有名人麻雀大会とか麻雀が大流行してましてね。それをリードしたのが小島武夫とか阿佐田哲也(色川武大)さんで、当時の学生たちの憧れの的だった。

椎名 ぼくはいまも週にいっぺんは麻雀をやってます。新宿のアジトで20人ぐらい仲間がいて、毎回朝まで。小島さんが現役でやっている頃、テレビでよく見ていろいろ勉強しましたね。

五木 それは凄い。まだやってるんですか。小島さんには何か人に愛される人格的魅力があった。金を借りたり雀荘を潰したりする困った人だったけど(笑)。

椎名 また不思議に大きな手が入る人でしたね。皆を楽しませるためにこれで上がったんだという風なね。

五木寛之(いつき・ひろゆき):1932(昭和7)年、福岡県生まれ。作家。北朝鮮からの引き揚げを体験。

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