死者を埋めた場所に石を置くようになった理由や墓石へと発展していった歴史

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死者を埋めた場所に石を置くようになった理由や墓石へと発展していった歴史

2018年12月19日に、福岡県福岡市西区の「今津(いまづ)干潟」と呼ばれる海岸に注ぐ瑞梅寺川(ずいばいじがわ)の河口付近に、大量の墓石が放置されているのを、たまたま野鳥を撮影していた男性2人に発見されたことが報じられた。磨耗し、角が取れた墓石には「宝暦(1751〜1764)」、「明治」などの元号の後に日付らしきものが記されていたものもあったという。

■投棄された墓石

川を管理している福岡県では、その状況を5年前から把握していたものの、「海岸を管理する上で特段支障はない」として、撤去などは行わなかった。しかし、このことが報じられてから、30年以上前から墓石があったことを知っていたと証言する人も現れた。

地元の自治協議会会長・中村隆暢氏はNHKの取材に対し、「5年前、近くの水門工事をした時に、50年ほど前につくられた古い護岸の基礎部分から墓石が出てきたことがあった。この時の墓石が水門工事の現場近くに放置されたのではないか」。そして墓石が護岸の基礎に使われた可能性については、「昭和30年ごろ、現在の糸島市にあった墓を別の場所に移転する際、それまで使っていた墓石が不要になり、護岸の基礎工事に利用したという話を聞いたことがある」と語っていた。

「昭和30年ごろ」といえば、今から60年以上前のことになる。「今」と違って「昔」なので、当時の人々は「墓石のたたり」「霊」的なものに敏感だったはずだと思われるのだが。



■墓石が投棄されていた今津という地域の歴史

今津は「津」の名前通り、海に面した場所だ。しかも1276(建治2)年、鎌倉幕府によって、蒙古来襲に備えるために築かれた元寇防塁の最西端にも当たる。当時の原形を完全にとどめているわけではないが、今日も今津の海岸沿いに、石造りの防塁跡を見ることができる。このような今津周辺はかつて、農業が営まれつつも、漁師町でもあったのだが、その面影はほとんどない。住宅地が造成され、会社勤めの世帯が大半を占めている。とはいえ、古くからの地縁組織と祭事や習俗は廃れることなく、住民相互のプライバシー観念や生活リズムの変化に対応した形で、現在もなお、維持されている。

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