日本に「報道写真」という新しい写真の概念を持ち込んだ人物「名取洋之助」

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日本に「報道写真」という新しい写真の概念を持ち込んだ人物「名取洋之助」

写真とは本来、自分の目に映った風景を撮影し、記録して鑑賞しておくためのものでした。そんな写真の使い方に、これまでにない「報道写真」という使い方を導入・紹介したジャーナリストがいます。彼の名を名取 洋之助(なとりようのすけ)といいます。

彼は、写真を純粋な鑑賞のためのものではなく、「物語るための写真」として用いる、ということを日本で初めて行った人物です。もうすこしわかりやすくいうと、伝えたいことを視覚的に伝えるために写真を撮影した人物なのです。

このような意図を持った写真のことを「報道写真」といいます。名取は、まさに日本における最初の「報道写真家」だったのです。

1937年、アメリカ撮影中の名取洋之助

名取洋之助は1910(明治43)年、東京に生を受けます。家庭は裕福で、やんちゃな少年時代だったそうです。

青年期は、文学や映画をたしなみ、慶応普通部では同人誌にも参加し、花街から女将に見送られて学校に行くような早熟な一面もあったと伝えられています。

ところが、学校の成績は振るわず、進学も難しかったため、父親の計らいでドイツに留学独学でカメラの操作を学び、当地のウルシュタイン社の契約カメラマンとなりました。

あるとき、ウルシュタイン社の特派員として中国にて取材活動を行いますが、その帰りに東京に来ていた洋之助は、ヒトラーの外国人排斥政策の影響で、そのまま日本に滞在し続けることになります。

そのような状況下において洋之助は、日本発の世界に通用するグラフ誌を企画します。若い頃は文学や演劇にものめり込み、人一倍美的感性の強かった洋之助は、ドイツにいた頃、日本の雑誌のクオリティの低さに、歯がゆい思いをしていたのです。

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