「年寄・荒磯として後進の指導にあたりたいと思います」 1月16日、引退を発表した横綱・稀勢の里。両国国技館での引退会見で開口一番、語ったのは、親方としての決意だった。
「年寄名跡“荒磯”は元幕内の玉飛鳥が稀勢の里から借りている状態でしたが、昨年4月、稀勢の里に返還され、いつでも親方になれる環境を整えていました。引退するなら地元・茨城に近い国技館でという思いは強く、初場所に賭けていたんですが……。国技館で連敗すれば引退と、覚悟を決めていたんでしょう」(スポーツ誌記者)
初場所での引退を逃せば、国技館での次の場所は5月。「気力がなくなったんだろうね」と言うのは、元関脇の貴闘力氏だ。続けて、「万全ではないことは、体つきを見ても明らか。その状態で、玉砕覚悟で場所に臨んだって勝てません。弱いんだから。やる気があっても基礎鍛錬ができていないとダメ。ケガを前提に相撲の取り方を変えないと意味がないんだけど、この1年、それができなかった。横綱だから、周囲もそうしたアドバイスをしづらいんだろうけど、教える側のかつての番付は関係ない。稀勢の里も助言に耳を傾けられたら、もう少し綱を張れたかもしれない」(前同)
稀勢の里は引退会見で、ケガへの質問が飛ぶと言葉を詰まらせ、涙を拭った。「2017年春場所、13日目の日馬富士戦で左肩を負傷。これが結局、力士生命の致命傷となりましたね」(ベテラン相撲記者)
12年から初優勝を果たす17年初場所まで、6年間も大関を務めたが、「優勝を阻まれ続けた理由に、強力な“モンゴル包囲網”がありました。