平成に起こった教師のわいせつ行為で、12年後に裁判で性的虐待が認定された事件がある。
大阪市南部の市立中学校に1996年、保健体育科教諭として男性教諭Y(当時32歳)が着任した。Yが剣道部顧問となったことで、部は全国大会に出場するほどのレベルアップを果たしたが、生徒に対する指導が問題だった。
Yは女生徒らに対して「全国大会に出るにはプライドを捨てろ」「3回回ってワンと言え」などと命じ、常軌を逸した指導を行うようになっていく。そして、指導という名の〝わいせつ行為〟もエスカレートしていった。
被害にあったAさんは、Yからたびたびシャワー室や詰め所などに呼ばれ、個別指導を受けるようになる。その際、Yから「全部裸になりきれてない。ほんまに裸になれるのか」と、暗に服を脱ぐよう示唆され、下着姿にさせられたのだ。
「Yからの指導は、部員の間で『儀式』と呼ばれていました。Yは部員を圧倒的な力でマインドコントロール下におき、童謡の『チューリップの歌』を歌わせたり、差し出した人差し指を舐めさせるなどの行為に及んでいました。また、生徒同士をライバル視させ、互いに〝よーい、ドン〟で教室の床をなめさせると、途中で顔や手をつかんで妨害し、2人をもみ合いにさせる競争までさせていたのです。また、あるときにはAさんを抱きしめて『処女をくれるか』と言ったこともありました」(地元紙記者)
根強く残る隠蔽体質
被害にあったAさんは高校卒業後の2002年夏ごろ、Yからのセクハラ行為を母親に打ち明けた。母親は翌年、匿名の告発文章を学校や大阪市教育委員会、警察署などに送付したが、このときは大きな問題にならなかった。
「04年にはAさん本人が大阪市教育委員会のサポートルームが設置する『学校におけるセクシャル・ハラスメント電話相談』に電話相談し、教育委員会は複数回面談を実施しましたが、Yに対する処分は保留にされました。その後、Yは別の中学校の教頭に昇進し、1年後、教育センターの指導主事として異動しています。結局、Yのセクハラ行為が地裁で認められたのは08年6月で、大阪市は被害者に賠償金を払っています。Yは裁判の結果を受け懲戒免職になりました」(同・記者)
わいせつ行為を受けた被害者の心の傷は一生癒やされることはないが、加害者が処罰されるまで12年もの年月がかかっていることからも、教師によるわいせつ事件の陰湿さと、学校や教育委員会の隠蔽体質が根強く残っていることが分かる事件だった。
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