戦国時代、農民の家に生まれながら空前絶後の立身出世を果たし、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。
その糟糠の妻(※1)である高台院(こうだいいん)は若い頃から苦楽を共にし、「内助の功(※2)」を絵に描いたような活躍で秀吉を支えたと言われています。
(※1)糟糠とは酒の糟(かす)や米の糠(ぬか)など貧しい食べ物≒食事を意味し、若く貧しい頃から共に過ごした妻を指す言葉。
(※2)主に妻が夫を「内から助けた手柄(功績)」を表わす言葉。
高台寺所蔵「絹本着色高台院像」17世紀
さて、そんな高台院の俗名(ぞくみょう。出家前の本名)については諸説あるようで、昔の時代劇などでは「ねね」が一般的でしたが、最近では研究が進んで「おね」「ねい」などの説も浮上してきました。
実際のところ、彼女の本名は何と言うのでしょうか。
ねね説とおね説、それぞれの主張従来の「ねね」は夫である秀吉が宛てた手紙に「ねね」という記載があり、少なくとも秀吉が彼女を「ねね」と呼んだことがあるのは間違いなさそうです。
しかし、彼女自身が書いた手紙に「ね」と署名しているものが見つかり、本名は「ね」で、親しみを込めて頭に「お」をつけて「おね」と呼ばれたのであろうという説もあります。
この説だと、「ねね」は秀吉が間違えて二文字書いてしまった、あるいは親しみを込めたニックネームとして名前を続けて書いた(※例:ゆいちゃん⇒ゆいゆい)等と推測されます。