日本史の教科書に掲載されていた歴史上の人物の肖像画。一度覚えてしまったら社会人になってもその人物のイメージとして定着してしまうものでしょう。また、教科書の記述は忘れたけれど、肖像画だけは覚えているということもあるでしょう。
それくらい、肖像画のインパクトというのはそれを見る我々にとっては強烈に歴史上の人物の視覚的イメージを植えつけます。それだけに、肖像画の人物が実は別人のものだったとしたら、これまでに頭に刷り込んできた知識は誤解だったことになります。
ところが、研究の進展によっては、そんな”通説”が覆されてしまうことも結構あります…。
例えば源頼朝の肖像画。
これまで源頼朝とされていた人物像。絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵)
この肖像画は、平安時代後期の宮廷絵師・藤原隆信によって描かれたものとされ、今まで、京都の神護寺伝来の国宝「源頼朝像」として伝えられてきました。
冠をかぶって正装した頼朝の姿は、武家の棟梁としての風格に相応しく、まさに鎌倉幕府初代将軍として端正で威厳に満ちています。
神護寺に伝わる『神護寺略記』の「仙洞院」の条によると、もともと後白河法皇、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房の5人の肖像画があったのですが、このうち後白河法皇と平業房の肖像画が失われてしまい、残っているもののうちの一つが伝頼朝像とされているのです。
ところが、この頼朝像には古くから疑問が上がっていました。
この肖像は後世に制作されたものでは?その疑問とは、画風が藤原隆信の時代の頃と異なっており、後世に制作されたものではないだろうか、というものです。