武田信玄(たけだしんげん)と並び称される戦国時代の名将・上杉謙信(うえすぎけんしん)は、兵略の天才であり、「軍神」といわれました。謙信も信玄に負けず劣らず人気がありますが、その理由の一つは死を恐れない勇将ぶりにあるといっても過言ではないでしょう。
それは、北条氏の小田原城を攻めた際のこと。上杉軍が小田原の蓮池の端に馬を置き、弁当を食べてお茶を飲んでいると、敵が鉄砲を撃ってきました。弾は謙信の袖鎧をかすめましたが、謙信は全く騒ぐことなく悠々とお茶を飲み続けたといわれています。
1561年、4回目の川中島の合戦が発生した際、上杉軍は妻女山に布陣し、武田軍と10日間退治しましたが、正平の誰もが緊張で押しつぶされそうになるなか、謙信は日夜、山頂で弾琴の音を楽しんでいたと伝えられています。今でも謙信ファンの女性は多いですが、戦国時代も多くの女性が近づいてきたのではないかと考えがちです。
ところが、謙信は生涯独身で不犯を通したといわれています。そんな事情から謙信は女性が嫌いで男色家だったという説さえ唱えられました。さらに、謙信は実は女性で、男装して家臣の目をごまかそうとしたが、同性の目はごまかせないと思い、女性を近づけなかったという推論までされました。
さすがに、謙信が女性だったという説は支持しにくいですが、生涯独身で不犯を通したという説は信憑性があります。つまり、最初から女性に関心がなかったという風に考えることができます。
ところがいままでの謙信に対するこうした見方は誤解だったようです。実は、謙信にはかついて一度だけ、心底惚れた女性がいました。その女性の名前は伊勢姫。