逝去・金田正一と長嶋茂雄「史上最大のライバル&親友」秘話

| 日刊大衆
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「突然の訃報に言葉を失った。ショックが大き過ぎる。元気の塊のようだった人にも、こういう結末があったのか」10月6日、400勝投手の金田正一氏が他界した。享年86。日本球界に悲しみが広がる中、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(83)は冒頭の言葉で、かつての盟友を追悼した。

 ライバルとして、チームメイトとして、絆を深めてきた金田氏と長嶋氏。「名人は名人を知る。お互いに通じるものがあったようですね」(元番記者)

 そんな2人の出会いは、1958年4月5日。今や語り草となっている、長嶋氏のプロデビュー戦“4打席連続三振”の日だ。「全19球のうち、バットに当たったのはたった1回。金田(国鉄=当時)の投球に圧倒されたミスターは、“プロの投手はあんなにスゴイんですか”と、周囲に漏らしていたといいます」(ベテラン記者)

 しかし、この試合、実は金田氏のほうも並々ならぬ闘争心で臨んでいたという。

「金田の父親が、わざわざこの試合を観戦するために上京。“正一、学生なんかに負けんなよ!”と、ハッパをかけられていたんだとか」(当時を知る元記者)

 完璧に大物ルーキーを抑え込んだ金田氏だったが、「長嶋のスイングを見て、“コイツは打つようになる”と予言。実際、金田が抑えられたのは1年目だけで、通算では打率3割1分3厘、本塁打は個人最多の18本打たれています」(前同)

 お互いを認め合う2人。金田は64年に巨人に移籍してチームメイトになるが、実はその前から、プライベートでは親交があった。

「カネやんは、ミスターをよく食事に誘っていて、“アイツ、俺より給料もらっているのに、一銭も払わないんだ”なんて、すごくうれしそうに話していましたね」(球界関係者)

 現在発売中の『週刊大衆』11月4日号では、この他にも野球関連記事を掲載している。

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