テリー 船山さんのお仕事が大きく注目されたのは、やはりジュリーの77年の大ヒット曲「勝手にしやがれ」ですよね。
船山 ええ。当時僕はまだ26歳で、それまで「ヤマハ音楽振興会」という会社で、主に「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」の応募作の編曲をしていたんです。その頃担当していた中島みゆきさんなんかは、1人でフラッとスタジオに来て歌って帰る、みたいな感じだったんですが、沢田さんの時は、スタジオに事務所スタッフをはじめ関係者がずらっと並んでいたので、ビックリしちゃって。「これが芸能界の仕事なのか!」って、その瞬間にビビってしまいました(笑)。
テリー フフフ、ヒット曲を作らないとタダではすまさないぞ、みたいな感じですね。
船山 まあ、沢田さんはめちゃくちゃ優しい人なんですけどね。ご本人には日本レコード大賞受賞の時にやっとお会いできて、「ありがとう」と声をかけてもらえたのが強く印象に残っています。
テリー 作詞された阿久悠さんから、何か注文などはあったんですか。
船山 いえ、僕には特になかったです。(作曲家の)大野克夫先生との間では、多少のやり取りはあったかもしれませんけれど。
テリー この曲以降も、阿久さんとは「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「OH!ギャル」など沢田さんの名曲をたくさん手がけられて、一大ブームを巻き起こした感じがありましたよ。
船山 阿久先生って、詞の原稿に表紙を自作して付けているんですよ。例えば「勝手にしやがれ」なんてタイトルが直筆で書いてあるんですけど、それがまたイラストみたいに処理されていて実にカッコいいんです。全部捨てちゃったんですが、今考えるともったいなかったですね。