宮内庁から治定を受けていないが天皇陵間違いなしとされている今城塚古墳

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宮内庁から治定を受けていないが天皇陵間違いなしとされている今城塚古墳

「何も見えなかった。つまらない」ーー訪れた観光客から早くもこんな声があがっているのが2019年7月に世界遺産に登録されたばかりの大阪府の百舌鳥・古市古墳群である。ここにある大古墳の多くが宮内庁により天皇陵・陵墓参考地とされ、拝所などから墳丘を眺めることしかできない。中でも日本最大の古墳として最も著名な大仙古墳(伝仁徳天皇陵)は三重の堀に囲まれ、墳丘すら眺められない。「古墳はがっかりスポット」という声に対して「日本で唯一墳丘に登れる天皇陵」が注目されている。

■大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳は継体天皇の天皇陵として宮内庁からの治定を受けている

古事記・日本書紀などで第26代の天皇とされる継体天皇(在位507年~531年)は前代の武烈天皇が子供を残さないまま崩御したため、急遽三国(現在の福井県)から招聘されて皇位についたという異色の経歴を持つ。宮内庁は大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳を継体天皇陵としている。「被葬者の安寧を損ねる」として観光客はもとより学者などの立ち入りも禁じられているのは他の天皇陵と同じだ。

■一方でお隣の大阪府茨木市の今城塚古墳は治定を受けていないが…

そして、この太田茶臼山古墳から1.3キロ離れたところに今城塚古墳という古墳がある。墳丘長190メートル、二重の堀を有した大古墳だが、なぜか天皇陵・陵墓参考地とはされていない。古墳及び周辺は史跡公園として整備されており、市民らが散策やピクニック、スポーツを楽しんでいる。墳丘への立ち入りも全くの自由だ。この今城塚古墳は発掘調査も行われており、その結果「真の継体天皇陵である」ということが確実視されている。つまり「天皇が葬られていながら、墳丘に登れる日本で唯一の古墳」である。

■「○○天皇陵」は嘘だらけ?

そもそも「○○天皇陵」というのは明治時代になって政府が定めたものである。当時は考古学が発達しておらず、古事記・日本書紀などの記述や地域の伝承などをもとに定めている。このため考古学的な観点から被葬者が確実といえるものは奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵などごく一部しかない。継体天皇陵のように、考古学の発達にともない「天皇陵ではないのでは」「そもそも古墳ですらなく自然丘なのでは」とされる大古墳もある。しかし宮内庁としては一件でも被葬者の治定を見直せば、結果的に多数の古墳の治定作業をやり直さなければならないため、継体天皇陵問題についてもダンマリを決め込んでいる。


■地元が抱えるジレンマ

今城塚古墳がある大阪府高槻市は歴史資料館などでは被葬者を継体天皇として紹介。ゆるキャラをつくるなどし、観光振興につなげたい考えだ。しかし、もし天皇陵に治定されてしまうと、現在のように市民の憩いの場として活用できなくなる。「天皇陵であって欲しいが、正式には認めて欲しくない」という大きなジレンマを抱えているといのが実情だろう。

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