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かつて日本ではマイナーだったスキーの発祥とスキーの宣伝に尽力した「磯野霊山」その1スキー発祥の地であった新潟県上越市高田でスキーの歌が最初に高田から生まれたのも歴史的に必然かもしれません。ところがその「スキー唄」第一号を知る人はほとんどいません。
歌詞の作者・磯野霊山。日本画家でもあった彼は佐賀県の出身で、東京美術学校卒業後、明治41(1908)年から大正11(1918)年まで『高田日報』の記者として現在の新潟県上越市高田に住んでいました。
彼は明治44(1911)2月5日、レルヒ少佐が高田第十三師団へ着任と同時に、スキーの実地指導を受け、堀内連隊長はじめ町の有志らと早くも2月19日、高田スキークラブを組織して発足式をあげ、主任委員として熱心にスキー練習の勧奨にあたりました。その一方で、スキーの沿革・技術・効用など盛んに新聞に書き立て、写真・漫画入りでスキーの宣伝をしました。
翌45(1912)年1月21日、金谷山で第一回スキー競技会が開催されますが、その下準備に携わったのも磯野です。24日、レルヒ少佐は高田を去り、北海道の旭川へ行きました。
磯野は、少佐が高田を離れてからもスキーの宣伝・普及に努め、同年2月10日にわが国最初のスキー雑誌として刊行された『スキー』第一号に大院君というペンネームで、日本最初のスキー競技会の報告、スキーに乗った感想などを発表しました。
彼がスキー宣伝のために同15日付で発表したのが「スキー唄」でした。おそらく、磯野霊山ほどスキーの宣伝に努めた人は後の時代にもいないでしょう。
参考:渡辺慶一『磯野霊山と高田』 (上越市立総合博物館 1979)
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