天才テリー伊藤対談「小峠英二」(2)相方の西村さんも変わっているよね

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天才テリー伊藤対談「小峠英二」(2)相方の西村さんも変わっているよね

テリー お笑いで食べられるようになるまでは、バイト三昧?

小峠 ええ、ほぼバイトがメインです。月に何回かライブがあって、たま~にテレビ。そんなんですよ。

テリー そんな感じで生活はできていたの。

小峠 芸人って、徐々に忙しくなっていくことでバイトができなくなる一方で、収入自体は少ないから借金を重ねちゃうパターンが多いんですけど、僕なんかは本っ当に暇でバイトばかりしていたので、借金も何もなくて。そこだけはよかったです。

テリー プロフィールを見ると、学生時代はパンクバンドをやっていた、と。

小峠 そうですね、中学、高校の時はずっと。

テリー その頃はモテた?

小峠 いや、全然モテないですよ。そもそも、パンク好きの女なんかロクなヤツがいやしない(笑)。

テリー 福岡だと昔「めんたいロック」なんてムーブメントがあったくらいだから、そういう土壌がすでにあったのかな。

小峠 いやー、僕の地元はライブハウスがなかったので、仲間でホールを借りて5~6バンドで一緒にやるみたいなことが多かったんですね。オリジナル曲も作っていましたけれど、好きなバンドの曲を演奏するのが好きでしたね。セックス・ピストルズ、クラッシュ、ラモーンズとか、まあ、あの頃の王道のやつですけれど。

テリー そんな音楽少年が芸人を目指すのは、どういうきっかけから?

小峠 だって、お笑いはずっと僕の中で一番のものでしたから。バンドはあくまでも趣味で、そっちの方向に進もうとはまったく思ってなくて、小学2年生くらいから「芸人になる」って決めていたんですよ。

テリー それはすごいな。

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