テリー お笑いで食べられるようになるまでは、バイト三昧?
小峠 ええ、ほぼバイトがメインです。月に何回かライブがあって、たま~にテレビ。そんなんですよ。
テリー そんな感じで生活はできていたの。
小峠 芸人って、徐々に忙しくなっていくことでバイトができなくなる一方で、収入自体は少ないから借金を重ねちゃうパターンが多いんですけど、僕なんかは本っ当に暇でバイトばかりしていたので、借金も何もなくて。そこだけはよかったです。
テリー プロフィールを見ると、学生時代はパンクバンドをやっていた、と。
小峠 そうですね、中学、高校の時はずっと。
テリー その頃はモテた?
小峠 いや、全然モテないですよ。そもそも、パンク好きの女なんかロクなヤツがいやしない(笑)。
テリー 福岡だと昔「めんたいロック」なんてムーブメントがあったくらいだから、そういう土壌がすでにあったのかな。
小峠 いやー、僕の地元はライブハウスがなかったので、仲間でホールを借りて5~6バンドで一緒にやるみたいなことが多かったんですね。オリジナル曲も作っていましたけれど、好きなバンドの曲を演奏するのが好きでしたね。セックス・ピストルズ、クラッシュ、ラモーンズとか、まあ、あの頃の王道のやつですけれど。
テリー そんな音楽少年が芸人を目指すのは、どういうきっかけから?
小峠 だって、お笑いはずっと僕の中で一番のものでしたから。バンドはあくまでも趣味で、そっちの方向に進もうとはまったく思ってなくて、小学2年生くらいから「芸人になる」って決めていたんですよ。
テリー それはすごいな。