あの伝説の歌手を「口説いた」ことも…宍戸錠、“映画とオンナ”の無頼86年!

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あの伝説の歌手を「口説いた」ことも…宍戸錠、“映画とオンナ”の無頼86年!

 去る1月21日に自宅で亡くなったことがわかった宍戸錠(享年86)。実録映画の金字塔「仁義なき戦い 完結篇」(74年、東映)では、狂犬のような大友勝利に扮した。同作品の中で、松方弘樹扮する市岡輝吉と小料理屋で顔を突き合わせているシーンがある。そこで──。

「牛のクソにも段々があるんでぇ。おどれとわしは五寸(ごっすん)=五分と五分=かい!」

 こうド迫力のセリフを言い終わると、左手一閃でグラスや皿を払いのけるのだ。

 日本を代表する無頼派の俳優として本誌に登場することも多かった宍戸は、身振りを交えて振り返ったものだ。

「あの『牛のクソに段々』はシナリオになかったから、俺のアドリブだ。後年、松方に会うたび『あの場面のジョーさんはすごかった』と言われたよ。勢いよくグラスをはねのけたものだから左手の静脈が切れて、身がピューッと噴き出て、テーブルいっぱいに広がったんだよ。それを見た女将役の女優が、カットの瞬間に失神しちゃったくらいだ」

 本作は、菅原文太の出世シリーズとしても知られる。これが初共演だが、実は古くから縁があったと宍戸は本誌に明かした。

「なぜ『仁義』に呼ばれたか? 菅原文太に呼ばれたから。あれとは宮城県同士、学年も一緒だから」

 宍戸は日大藝術学部、菅原は早稲田大学法学部だったが、演出家の浅利慶太も含めて宍戸の下宿に集まったという。

「カストリ焼酎と俺が生姜醤油で煮込んだサンマのブツ切りをつまみながら、菅原に言ったんだよ。俺は『日活第一期ニューフェイス』を受けることになってたから『文太君も受けないか。君はいい顔してるし、いい経験になるよ』って。これに菅原は『そういう環境を意識してなかったな』って否定したね」

 もし菅原が日活に入っていれば、日本の映画史も大きく変わっていただろうか。

 さて、宍戸は俳優だった故・郷えい治(えいは金へんに英)の兄であり、伝説の歌手・ちあきなおみ(72)の義兄でもあった。

「ちあきとは『元祖どっきりカメラ』で知り合ったのかな。あれに『誰かいい人紹介してくださいよ』って言われて、『俺だろ、お前には』って言った。ただ俺は子供もいたし、ちょうど弟が離婚したばかりだったから、紹介してやったんだ」

 その後、2人に会った宍戸は「あ、もうこいつらデキてるな」と感じたという。宍戸自身もプレイボーイとして鳴らし、古巣の日活が100周年を迎えた12年、日本外国特派員協会の講演で、こう豪語した。

「抱いた女の数は世界で3番目、1331人だ」

 その発言の根拠を本誌が聞くと、さらりと答えた。

「今も“モテ期”が来ているんだよ」

 その豪快さに、合掌──。

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