プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ドン荒川」数限りない逸話を残した“前座の力道山”

| 週刊実話

 破天荒なエピソードの多さもあり、一介の前座レスラーにとどまらぬ知名度を誇ったドン荒川(荒川真)。SWS設立時には黒幕として名前が挙がるなど、実はプロレス史におけるキーマンの1人でもある。

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 昭和のプロレス興行において不可欠だったのが、チケット販売などを助けてくれるスポンサー、いわゆるタニマチの存在である。

「かつて、ある団体の営業担当は『暴力団、宗教団体、韓国・朝鮮系団体は、地方興行を成功させるための三種の神器だ』とまで言っていました。独自の販売ルートを持つ強固な組織と懇意にしておけば、確実に一定数以上の大会チケットがさばけたそうです」(プロレス記者)

 宗教に無頓着なアントニオ猪木が、一時期、某団体の“手かざし”に執心していたのも、これに関連してのことと思われる。韓国や朝鮮については力道山をはじめ、そちらの国にルーツを持つレスラーが多いことと無縁ではなかろう。

 そうしたタニマチとの付き合いは、プロレス団体の運営という意味で考えたとき、リング上の試合よりも重要だったりする。そこで活躍したことで知られるのが、新日本プロレス出身のドン荒川や永源遥であった。

「ジャイアント馬場はタニマチ付き合いに消極的だったといわれますが、ジャパンプロレス分裂時には永源の持つ太いタニマチ筋への期待から、全日本プロレスに所属選手として残したという話もあります」(同)

 さて、今回取り上げるドン荒川は、SWSを興したメガネスーパーとの関係がよく知られている。

「SWS設立においては荒川の助言があったといわれますし、旗揚げの約1年前に新日を退団しているところをみると、設立準備のため、実務の部分でも動いていたのでは…」(同)

 そう考えると荒川は、良くも悪くも日本のプロレス史に大きな足跡を残したと言えるだろう。

 誰とでも仲良くなれる明るい性格でサービス精神も旺盛な荒川は、レスラーならではの鯨飲馬食ぶりでタニマチのご機嫌をうかがった。酒一升を19秒で飲み干したというから、もはやビックリ人間のレベルである。

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