ケンドー・ナガサキの名で知られる桜田一男は、レスラー仲間からケンカ最強と評され、日本プロレス時代には、新日本プロレスに移籍する大城大五郎を“裏切り者”と、リングでボコボコにしたという。
本場アメリカに渡ってもその度胸と技量で第一線を張り、世界最高峰のNWA王座に挑むなど各地で活躍している。
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今年1月12日、「ケンドー・ナガサキ」こと桜田一男が亡くなった。死因は不明だが、亡くなる1週間ほど前までは元気な姿を見せていたという。
不整脈を理由に現役を引退し、心臓にペースメーカーを埋め込んでいたというから、そのあたりの不具合によるものであったか。
SWS旗揚げに参加した1990年以降はケンドー・ナガサキの名で通していたため、そちらの印象が強いかもしれないが、以前には「ミスター・サクラダ」などいくつかのリングネームを使い分けていた。
全日本プロレスにおいては、’82年にフリッツ・フォン・エリックからの刺客と称し、覆面レスラーの「ドリーム・マシーン」として外国人サイドで参戦。ブルーザー・ブロディのタッグパートナーを務め、ジャンボ鶴田や天龍源一郎とはシングルマッチでも対戦している(どちらも敗戦)。
なお、当時の桜田は、活動拠点こそアメリカであったが所属は全日であり、全日側が外国人選手招聘の経費を節減するために、このような起用をしたものと思われる。
全日退団後、’85年の新日参戦時には、素顔で「ランボー・サクラダ」を名乗っている。
「この頃、アメリカではすでに顔面ペイントのケンドー・ナガサキとして活躍していましたが、当時の新日は選手大量離脱で苦境のさなか。日本陣営に加えることも考え、あえて怪奇派を避けたのでは?」(プロレスライター)
ただし、ランボー名義ではさほどインパクトを残せず、また同年末にUWF勢が復帰して日本人選手が増えたこともあり、改めてケンドー・ナガサキとして参戦することになる。
実はケンドー・ナガサキというリングネームは、先にイギリス人レスラーが使用していたものであった。その初代は剣道の面を模したマスクをかぶり、オリエンタル・ギミックで60年代に人気を博したという。
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ケンドー・ナガサキ」ケンカ最強伝説とともに天に召された“剣道鬼”
2020.02.23 08:00
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週刊実話