中居正広が昨年失った「人生を支える3つの柱」とは?

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中居正広が昨年失った「人生を支える3つの柱」とは?

 ジャニーズ事務所の退所を発表した中居正広は昨年、人生における重大な支柱を3つも失っていた。1つはもちろん、自分を見出し育ててくれたジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏。19年7月9日、くも膜下出血により亡くなった。

 同年4月には、長きに渡って通っていたそば屋と雀荘がクローズしていた。この2店は、中居の別宅といっても過言ではないほど、思い出と愛着がたっぷり詰まっていた。特に雀荘に対する思い入れは並々ならぬものがあったという。

 中居が麻雀を始めたのは31~32歳ごろ。父・正志さん(故人)と同じ趣味を持ちたいと思い、三十路を過ぎたのを機に、ゴルフと麻雀を会得した。閉店した雀荘は、在りし日の父と卓を囲んでいた場所。以降、利用するのはいつも、10坪ほどで個室もない大衆店。15年来の常連客となっていた。

「麻雀仲間は劇団ひとり、スピードワゴンの小沢一敬、アンジャッシュの児島一哉、地元の仲間や一般人、業界関係者など多岐に及んでいました。タモリ、笑福亭鶴瓶、ヒロミも来たことがあります。別のテーブルで、中居とほぼ同じペースで打っていたのは女優の加賀まりこ。落語家・立川談春も訪れています。有名人がしょっちゅう来ていたにもかかわらず、店員も客も無関心。そこがまた魅力でした」(芸能ライター)

 中居がおやじギャグを連発していたのも、この店。「北」の牌が来ると「キター!山たけし」(北山たけし)、失敗すると「失敗、おっぱい」。「ウーピン」の牌を切るときは「ウーピン・ゴールドバーグ」で、降りるときは「降りた剛」(森田剛)。海外ドラマ「24」を観ていた時期は、ずっと主人公のジャック・バウアーの日本語吹き替えのものまね。IKKOのものまねを乱発させて児島などと悪ノリしていると、別卓の客から「ちょっとうるさいな」「IKKO、やめろ」と注意されたこともあったという。

「閉店前の10日ほどは、ごはんを食べるために毎日通ったそうです。中居はしっかりした厨房もあったその雀荘のメニューを制覇。お気に入りはカツカレー、炒飯、ラーメン、とんかつ定食、そば、天ぷら。深夜2時ごろに定食を頼み完食するというのですから、よほどの健啖家です」(前出・芸能ライター)

 雀荘メシを失って2度目の春。中居は新規開拓ができたのだろうか。

(北村ともこ)

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