映画『股旅』で描かれた当時珍しいことではなかった「野垂れ死に」

| 心に残る家族葬
映画『股旅』で描かれた当時珍しいことではなかった「野垂れ死に」

かつて矢倉沢往還、または青山通大山街道(現・国道246号)の宿場町だった長津田には、2基の常夜燈が残っている。大山街道とは、主に江戸期において、農村社会では雨乞いの神として、町人社会では、病気快癒・授福防災などを叶える現世利益の神として、多くの人々の崇敬を多く集めた霊山・大山、並びに大山阿夫利神社への参拝客が行き交う道だった。しかも大山街道は、京大坂(現・京都府、大阪府)から運ばれてきた「下り荷」と共に、伊豆の乾魚・シイタケ、駿河の茶・真綿、秦野の煙草、そして近隣の村々からの木炭・薪・野菜・醤油・油などが江戸へ運ばれる重要な物流ルートでもあった。

■股旅に登場する三人の若者は夢を抱いていた

こうした大山街道を通った人々の中には、1973(昭和48)年公開の映画『股旅』に登場する、破れた三度笠、ヨレたカッパ、そして脚絆姿の源太(げんた、小倉一郎)、信太(しんた、尾藤イサオ)、黙太郎(もくたろう、萩原健一)のように、明治維新直前の、江戸幕府の統制力が崩壊しつつあった時期に顕在化するようになってきた、無宿者(むしゅくもの)・博徒・渡世人・侠客…となって、下総(しもおさ)国(現・千葉県東総地域)の笹川繁蔵(1810〜1847)や飯岡助五郎(1792〜1859)のような大親分になることを夢見て、時に追いはぎが出るのも物せず、道を急いだ若者たちが少なからずいたのではないだろうか。

■ヤクザではなく若者を描きたかったと語った監督の市川崑

監督の市川崑(1915〜2008)は後に『股旅』の制作意図について、「とにかく、若者を描きたいという気持ちでいっぱいだった。誰にでも訪れる青春と、日本人独特の義理人情や家族制度とのぶつかり合いを、やくざの掟というものを通して描こうとしたんですね。だから、やくざそのものを描いたわけじゃない」と語っている。

しかもキャストに起用したのは、当時20代前半で、少年の面影が強く残る小倉一郎と『エメラルドの伝説』(1968年)などで知られるグループサウンズ、ザ・テンプターズのボーカルで人気を博していた萩原健一、そして20代後半だったロカビリー歌手の尾藤イサオという、「畑違い」かつ、まさに市川が「現代の青春と照合しながら作ってみよう」という意図通りの選択だった。

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