テリー で、実際にHTBに入ってみて、どうだったんですか。
藤村 本当は報道部に行きたかったんですけれど、最初の配属が東京支社だったんですね。そもそも東京が嫌なのに、仕事も視聴率の計算とかをやらされる。営業のデスクみたいなことを5年ぐらいやってたんですよ。それがもうつらくて、たまらなくて。
テリー アハハハ。
藤村 でも、その5年でテレビの仕組みが全部わかったんですよ。どうして視聴率が大事なのか、それが毎日いくらで売り買いされているのか、その金額まで全部わかりますから「そういうことなのか」と。
テリー ああ、そういうのは大事ですよ。
藤村 そして30歳の時に制作部に異動して、番組を作る側になったわけです。そこで「視聴率が取れる番組でないと、意味がない」と考えて、いきなり始めたのが「水曜どうでしょう」なんです。
テリー それ、すごいね。でも、簡単に「視聴率を取る」って言うけど、大変じゃないですか。
藤村 テレビが大好きな僕からすると、地方局が作る番組なんて、すごいタレントさんが出ているわけでもないし、どうしてもおもしろいと思えなかったわけです。そこで何より最初にやるべきは「ローカル局が作った番組だと思われないこと」なんじゃないかと。それで無名のタレントをいきなりヨーロッパに連れて行くなんてことを始めたんです。それが「モザイクな夜V3」という番組で知り合った大泉洋で、当時はまだ普通の大学生でしたね。
テリー 大胆だなあ。すぐに人気は出たんですか。
藤村 96年にスタートして、初回から視聴率はよかったですね。レギュラー放送として毎週やっていたのは最初の6年間だけで、それ以降は何年かに1回、スペシャルみたいな感じで集まってやっています。