田中角栄「怒涛の戦後史」(25)元通産省事務次官・小長啓一(中)

| 週刊実話

 小長啓一が田中角栄通産大臣の秘書官に就任するにあたって、田中の大蔵大臣時代に秘書官を経験した大蔵官僚から耳にした“田中評”は、こうであった。

「とにかく忙しい人だから、あとを付いていくだけで大変だぞ。事務方が長々と説明したって、聞く人じゃないからな。まず、それに慣れることだ」

 その通りであった。通産大臣就任直後には積年の懸案だった日米繊維交渉の決着に向けて大車輪の働き。同時に小長も秘書官として休む暇もなかった。その交渉を見事に決着させると、小長には次の“注文”が待っていた。田中は、言った。

「国土の改造計画を本にまとめたいが、君、協力してくれんか」

 大蔵大臣、自民党幹事長を歴任し、通産大臣としての重責を果たして、さらに自信をつけた田中は、「沖縄返還」後に佐藤栄作首相が退陣することを必至として、いよいよ天下取りに乗り出す意思表示をしたということでもあった。小長は即座に、こうした田中の思いを感じ取った。

 もとより、田中によるこの国土の改造計画は、雪で苦しむ新潟への郷土愛と、東京、大阪などの都市と地方の経済格差をなくし、国土の均衡ある発展を目指さねばならないという政治信条から発していた。その実現のために高速道路、新幹線、空港、港湾、工業用地などのインフラ整備を進め、日本全国を“1日行動圏”にするという雄大な構想であった。

 田中はすでに通産大臣になる前の自民党都市政策調査会長時代に、「都市政策大綱」を発表しており、これを自民党内の大勢が「20年、30年先の国づくりを目指したわが党の政策足り得る」と支持、普段は批判記事の多かった朝日新聞も極めて好意に満ちた記事を書いたものだった。

 この「都市政策大綱」は田中が相当入れ込んだもので、自ら5000万円、現在の貨幣価値からすれば2億円ほどのポケットマネーを投じて、優秀な国会議員、地方議員、地方自治体首長、そして各省庁からこの国の明日に情熱を持つ課長、課長補佐クラスの若手官僚をピックアップ、集めた資料は2トントラック1台といった具合だった。

 これらの人材が各部会に分かれて資料を分析、連日にわたる大小の会議を1年余り重ねたうえでの成果であった。多忙な田中もできるだけ会議に顔を出し、熱弁を振るったものだった。

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