歴代総理の胆力「森喜朗」(1)「密室」から生まれた政権

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歴代総理の胆力「森喜朗」(1)「密室」から生まれた政権

 組織のトップリーダーが選ばれる際は、なんらかの「正統性」が求められる。しかし、とにかく急場をしのがねばならないため担ぎ出されるというケースも、ままある。政治の世界では、「暫定政権」と言われるものである。戦後、いわゆる“暫定政権的”なケースはいくつかあったが、この森喜朗のケースは、なかでもかなり特殊なケースと言えたのだった。

 森政権は、前任の小渕恵三総理が突然の病魔に倒れ、再起の見通しがつかぬ中で、時の自民党首脳格五人の“密議”により、かなり強引に担ぎ出されたものだった。「密室」から生まれた政権ということである。

 時に、小渕政権は自民、公明、保守の三党による連立政権だったが、官房長官だった「参院のドン」とも言われた小渕の「盟友」青木幹雄が中心となり、強引に森を担ぎ出した。総裁選をやっていれば、場合によっては自民党内が混乱し、連立政権の維持も不可能となりかねない。「五人組」は、とにかく自民党内の総意、言葉を代えれば「やむを得ぬ」との形で、とにかく三党の合意を得ればそれでよしという姿勢であった。

 森は折から幹事長ではあったが、それまで大蔵や外務といった重要閣僚ポストの経験はなく、どちらかと言えば「文教族」の一方で、党務で汗をかいてきた人物であった。

 もとより、政権構想らしきものを発表したことはない。総裁選出馬歴もなく、英国の「ガーディアン」紙などは「クレムリンのような秘密主義の中で誕生した政権」として、まず民主主義国としての政権の「正統性」を問うたのであった。国民もこうした森政権には懐疑的で、内閣支持率の低い“低空飛行”からの出発は当然だったと言えた。

 なるほど政権は約1年で終止符を打ったが、例えば平成13(2001)年度予算案はじめ、重要政策はすべからくが党に任せっ切りだった。政界には「丸投げ」というコトバがあるが、このルーツは森政権にあったのである。また、景気の低迷に対して、なんら有効な手段を講じることもなかった。

 そうした一方で、外務省の機密費問題、KSD(中小企業経営者福祉事業団)に絡んで村上正邦参院議員会長が逮捕、森の側近中の側近の時の中川秀直官房長官もスキャンダルに見舞われるなど、政権運営にも躓いた。

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